2007年12月29日土曜日

年末になりました。

 今日で仕事納めの方も多いのでは無いでしょうか。私も今日が納めでした。
振り返れば本当に細々とした仕事をこなし、雑事に追われ、動きの割には報われない事の多い一年でした。
ただ良い点を挙げれば沢山の種を蒔けた実感があります。来年はその種たちが芽を出し、花を咲かせる年にしたいです。

 母が告知を受けてから2度目のお正月が来ます。
2年前のお正月の帰省中に母が「肺に影があると言われた」と私に打ち明けました。その時によぎった何とも言えない嫌な予感と重たい不安感は今でも忘れられません。
 告知を受けた直後は二回目のお正月を迎えられるとは思っていませんでした。本当にありがたい事です。
今までは当たり前のように迎えていた年末や新年がこれほどに貴重な瞬間になるなんて思いもしませんでした。
あと何回、とはあえて考えません。

 2度目のイレッサは前ほどの即効性は見られないものの、咳が若干治まってきたり、レントゲン画像が少しすっきりしていたりと地味に働いてくれているようです。
 本当はもっと詳細な画像による診断でイレッサの奏効の程を知りたいのですが、CTの被爆による発ガン性に関する記事が新聞に載っていたそうで、今まで月一で撮っていたCTを母が撮りたがらなくなりました。
CTには肝臓の画像も映るので転移を見るにも役にたっていたのですが....
 
 CTの検査被爆の問題は各所で言われていますが、実際のところはどうなのでしょう。
医者でも意見が全く逆の場合もあり、判断しかねています。どなたか情報をお持ちの方、教えて下さい。

2007年12月14日金曜日

本を読む

横森理香さん著「母を送る、母に贈る」を再び読んでいます。
横森さんのお母様の膵臓がんの闘病、看取るまでの数ヶ月の記録が描かれている本で、全体的に淡々とした文章なのですが、「母がこの世にいなくなる」という大きな悲しみや焦りに似た不安感が各所に感じ取れ、横森さんのお母様への想いが伝わる心を揺さぶる作品です。


この本は私が母の告知でショックを受けてかなり元気を失っていた頃に友人が栄養のある食べ物と一緒に送ってくれたものです。
同封の手紙には「後で笑い話になってもいいから読んでおくと少し楽になるかもよ」とありました。
彼女にしてみれば凄く勇気のいる行為だったと思いますが、彼女の聡明さと思慮深さを良く知る私はイヤな気持ちになるどころかとてもタイムリーでありがたい贈り物だと思いました。

 横森さんがお母様の病気を知り、自分自身の健康状態に過敏になったり、一緒にいる時間を慈しみ、精一杯自分に出来る事を考え行動する姿や、姉妹との考え方の違いに苦労したりと、あらゆる部分が自分と重なりとても心強く感じました。

 『私は母の死を通して、いろんな事を学んだ。母のまわりのさまざまな人たちに会い、やっと、娘として見ていただけでない、母の全部の姿を見た。そして私の中にあった、母に対する複雑な気持ちは、まるできれいな冷たい雨に洗われるように、シンプルな愛情に変わっていった』
 
 私の母はまだこの世にいて今現在も治療の日々を送っています。死について考えるのはまだ早い。
でも、この文章を書いた横森さんの気持ちが良く分かるのです。

 
話は変わります。タルセバに関してこんな情報がありました。



遅すぎる承認、使用例が少ないだけに副作用が懸念される所ですが、イレッサの痛い経験を無駄にせずに主治医厳重監視の許、事故無く沢山の肺がん患者が延命出来る事を願ってやみません。

最後に。
コメントを頂いた皆様、ありがとうございます。どういう都合かこのブログ、コメントの表示が時間差になってしまいます。
使い辛くてすみません....。

2007年12月10日月曜日

不穏な心境

 ここ数日、ブログや掲示板で闘病の記録を読ませて頂いていた方々が数人亡くなっています。病がある以上いつかは迎えなくてはいけない現実なのですが、いざ突きつけられると直接知らない方とは言え大きなショックを受けます。いやおうが無しに母と照らし合わせてしまい、暗澹とした気持ちになります。
 
 告知当初に比べると随分と色々な事に慣れて来て、ちょっとやそっとじゃ打ちのめされないような気がしていましたが、こういう事があると楽観出来ない現状を思い知るのです。

 ここ数ヶ月間は母の治療が定まっていて状態も落ち着いていたので束の間安心していたのですが、マーカーの急上昇によりイレッサに再度チャレンジする事となり、その効果の程はまだ分かりません。
 どれだけ心配してもしなくてもしばらくは2回目のイレッサに賭けるしか無いのだとしたら肚を決めて少しはおおらかな気持ちでいたいものですが、暗雲立ちこめるかのような不安は拭い去れません。

 母が元気な内になるべく多くの思い出を作っておきたいのですが、反面それがあまりに悲しい行為のように思えてしまう自分もいます。とても複雑な思いです。

 思い返してみればほんの10年前、私はまだ独身で両親と一緒に住んでいました。
毎日毎日が慌ただしく、仕事や人間関係などそれなりに悩んだりもしていましたが、自分だけの事を考えていられる幸せに気付いていませんでした。
 歳を取るというのは自分以外の人を全身で受け入れて行く事なのかも知れませんね。
 

2007年12月6日木曜日

変化

 日に日に冬模様が濃くなっていきます。朝晩は冷え込みますね。今年も又新型とインフルエンザが猛威をふるっているようです。更には吐き気と下痢症状を伴う風邪も流行しているとか。師走のこの時期、代理のきかない仕事をしている私のような人間は絶対に風邪をひけません。出先にも携帯コップを持ち歩いてうがい、手洗いを励行しています。基本的な防御策ですが。数日前にインフルエンザの予防接種も受けましたが新型が台頭していては意味が無いのかも知れませんね。

 母はCEAが急上昇してしまい、これまでの点滴での抗がん剤を一旦辞めて、2回目のイレッサに切り替えました。
休薬期間は半年、イレッサローテーションの定義はまだ無いようですが、早い人で3ヶ月の休薬で再び効く事もあるようです。

 画像診断では変化無しだったのですが今までの推移を観察するとマーカーの上昇は「何か」なのかも知れません。

 ナベルビン/ジェムザールでしばらくは安定していたので束の間とは知りながら安心していたのですが...こうなったら二回目のイレッサが最大効果を表すように祈るのみです。
間質性肺炎などの副作用も心配ですが、一回目のイレッサは投薬3日めくらいから顕著に体感的効果が出ていたようですのでその相性に賭けたいと思います。

 



 

2007年11月29日木曜日

もうすぐ12月

 毎年思う事ですが一年なんてあっという間。
年の暮れからなだれ込むように新年を迎え、夫の実家や私の実家でそれぞれの両親、兄弟たち、甥や姪たちと過ごす、それまではただただ賑やかで忙しいと感じるそんな新年が本当に幸せだと感じ始めたのは夫の両親が体調を崩し大変な時期を過ごした数年前から、母の病気が分かってからはもっとです。

 母はもうすぐ告知から二年を迎えます。劇的な病状の変化が無いかぎり来年も新年は元気に迎えられそうです。
きっといつも見守ってくれている亡くなった祖母や祖父たちや、いつも支えてくれる夫や友人たちへの感謝の気持ちでいっぱいです。

 先日サイバーナイフセンターでの脳MRIの検査に同行しました。
転移はある事は分かっているので、今回こそは処置が必要な段階まで腫瘍が増大しているかも知れない、と覚悟を決めて行きました。
ところが主治医曰く「今回もやらなくて良いです」との事。

 イレッサやタルセバなどの分子標的剤では無い、点滴で行う抗がん剤は脳血液関門を通過出来ないので脳転移には作用しない、というのが定説ですが、主治医曰く、母に於いてこの増大の止まり方は今行っている抗がん剤治療が何かしらの作用を及ぼしている感触があるとの事、最近ではそういう症例も文献で発表されているようです。

 私はサイバーナイフセンターのこの主治医が好きです。
一見ぶっきらぼうな物言いですが、患者が神経質にならないように細やかに気を使いながら話をしてくれて、今の病状についてもごまかす事無く、とても詳しく説明をしてくれます。オープンな雰囲気で何を聞いてもおざなりな返答は絶対にしません。沢山の例を挙げていざという時はこうすればいい、と希望のある話し方をしてくれます。専門外であるはずの肺の治療についても必ず薬剤の名前を聞いてくれます。

 期限付きはありますが、次回の脳の検査までは何とか安心をもらいました。あとは肺のコントロールが出来ますように!
来年早々にはいよいよタルセバも発売になるようです。まだまだ諦める訳には行きません。


 話は変わります。
母の最初の抗がん剤治療の際に大変お世話になった方がいます。
岩手県で化学治療で脱毛した人用に手作りの帽子を作ってらっしゃる方で、脱毛に備えて使い勝手の良い帽子を探していた時に偶然ネットで辿り着き、母にいくつも帽子を手作りして下さいました。心のこもった帽子に実生活的にはもちろんの事、精神的にも救われた事が思い出されます。

 ある人にその帽子を紹介したくて、再びその方に連絡を取る事になり、改めてあの時の感謝の気持ちを伝えたく、近況報告も含めてメールを出しました。するとすぐにお返事を頂きました。ご本人には無断ではありますが、とても心を打つ内容のお返事でしたのでここに抜粋したいと思います。

 『お母様のご病状には不安を残しながらも安定しておいでのご様子。ようございましたね。それ故にこそ、日々を大切に過ごされておいでではないのかと推察いたします。人が生きるとは、常にそうしたものかも知れません。一点の曇りもない生命の有り様はおそらくないのではないでしょうか?憂いを抱えるからこそ、人は優しくも強くもなれるのだろうと思います。〜中略〜 ◯◯様(私)も、離れておいででご心配は尽きないことでしょう。が、同様に、「想う親」の存在が日々の拠り所になっておいでかと思います。私も、今春から急激に体調を崩し始めた老親達(86、90才)の元へ、足繁く通うことになりました。今まで元気でいてくれたことが驚異的と言えるかもしれませんので、精一杯のことをしようと考えております。

 どうそ、佳い日々をおすごし下さいますよう。お母様、くれぐれもお大切に。』

素晴らしい文面からは深い優しさと知性が伺われ、会った事も無い方ですが改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 
 
 

2007年11月23日金曜日

寒いですね。

 随分久々の更新になってしまいました。相変わらず日々慌ただしく、あっと言う間に11月も末、すっかり真冬の気候です。
地球温暖化と言われながら11月にしてこの寒さはいったいどういう事でしょう。北陸では雪も積もったそうですね。

 母は相変わらず元気にしています。腫瘍マーカーはゆっくりと上がっていますが、肺CTは前回とあまり変わり無いようです。
月末に脳のMRIをしますが、こちらも変わりが無いよう、祈るばかりです。

 

2007年11月6日火曜日

特筆事項無し

 このタイトルが付けられるのは嬉しい事です。相変わらずナベルビン、ジェムザールの二剤投与が続いています。白血球値が低い時は若干量を減らしたり、逆に正常値をキープ出来ていて腫瘍マーカーがアップしてしまった時は増やしてもらったりと、何だかんだで主治医もさじ加減を考えてくれているようです。
 3週連続投与で一週間休薬。点滴抗がん剤のみならずイレッサなどの分指標的剤でもショートスパンで休薬する事によって薬の効きを長く出来るのでは無いかという説があります。耐性というものを考えると良く理解出来る原理のように思いますが実際はどうなのでしょう。きっと人によって違うのでしょうね。


 話は変わります。
非常に身近な仕事仲間のお父様が亡くなりました。彼女のお父様は膵臓がん、大腸がんの重複ガンを闘病されていました。
とても気力のしっかりされた方で、何度も窮地を乗り越えてきていて、母も心の中で励みにしていたようです。
病気が分かった時点で余命一年を宣告されていて、それを遥か超える年数戦ってこられた事、ご家族にご自分の最期の事までしっかり伝えていらっしゃったとの事、とても立派だと思います。
最後まで本当に格好良かったお父様のご冥福を心から祈っています。

2007年10月19日金曜日

諸々

 昨日20年来の友人に久々に会いました。短い時間でしたが一緒に食事をして心温まる一時を過ごしました。
彼女は母の病気が分かってからほぼ毎日メールをくれます。些細な日々の雑事報告や、何のてらいも無く今日の予定はこうだよ、と話し合える貴重な友人です。
離れていても何かあったら絶対に助けになってくれる、と思える友人がいる事は幸せな事です。その存在自体が支えになります。

 母の病気が分かってから早いものでもう一年と7ヶ月。
告知当初は抗がん剤治療のイメージは世間一般のドラマで見たようなもので、「母には受けさせたく無い」と思っていました。
免疫療法、サプリ、漢方、そんなものばかりを調べていました。
先輩患者家族の方々から沢山の情報をもらい、抗がん剤を治療のベースに置くのがベストだという事実に早めに気付かされて目が覚めました。

 ガン患者や家族をターゲットにした様々な商売の基本は「抗がん剤治療に対する恐れ」を利用したもので、抗がん剤のデメリットばかりを書き連ねたり、このサプリでガンが消えた!などとうたう悪質な本があったりと、気弱になっている患者や家族は本当に惑わされます。
 今では抗がん剤が無事に投与出来た日は「良かった!」と思い、転移があっても「悪さをしないのなら」と思えたりもします。
告知当初では考えられない事実です。

 告知を受けたあの日から時間の重さや大切なもののプライオリティーも変わりました。
今までは当たり前にように受け入れていた日常が本当にありがたいものであり、感謝すべきものであると思うようになりました。
実家に電話をすると両親のどちらかが出る事、毎朝主人の為に朝食を作る事、帰りを待つ事、そんな些細な事の一つ一つが涙が出るくらいにありがたく思える時があります。

 まとまりの無い文章ですね。思いがうまく言葉に出来ません。
 


 

2007年10月11日木曜日

脳の検査

 サイバーナイフセンターでの検査が終りました。結果今回も処置は据え置きです。
前回の処置箇所が綺麗に消えている事と、前回も確認出来ている転移腫瘍の顕著の増大が無いからです。
主治医は「放射線治療はやらないに越した事は無い」といいます。小さくてもMRIで確認出来ている腫瘍であれば処置は可能なのですが、あっても問題の無い大きさであれば処置はしない考え方だそうです。ただし日常生活に支障を来すような場所にある場合はすぐに処置をするそうですが。
 
 何ヶ所でも何回でも治療出来るのがサイバーナイフの素晴らしい点ではあると思いますが、やはり放射線を体内に入れるのは良く無いのでしょうね。
また二ヶ月後に検査です。

 肺原発も何とか大人しくしてくれているようですし、抗がん剤は減量してもらっているのでQOLに支障を来すような副作用は特には無く、今の所治療はうまく行っているようです。

 ところでタルセバはいつになったら日本でも使えるようになるのでしょうか。
ムコ多糖症の薬が承認され、異例のスピードで使用認可されたようです。舛添さんの力もあったようですが、どうせならマスコミに取り上げられていない、他の未認可薬にも目を向けて欲しいものです。

 

2007年10月3日水曜日

久々の更新です。

 随分ご無沙汰してしまいました。
数日前から残暑一転秋の気温ですね。肌寒く、10月ならではの爽やかに晴れ上がる空も無いまま冬になってしまいそうな勢いです。
私は相変わらず家でも外でも雑務仕事に追われています。
貧乏性というのでしょうか、今しなくて良い事をどんどんと追い込んで自分で忙しくしているような、そんな感じです。

 そんな中、家族が一人増えました。
といってもオメデタイ話ではありません。捨て猫を拾ったのです。我が家の駐車場に捨てられていた子猫を保護して里親を探している内に情が移ってしまい飼ってしまった、という良くある話です。
 とにかく可愛いメス猫で私に甘えてくる様子などは「もしや人間?」と疑ってしまうくらい。猫ってもう少しクールだったような印象があります。もの言わぬパートナーですが心は既に繋がっている事を日々感じます。
 動物好きの両親も大喜びで文字通りネコ可愛がり。動物は幸せを呼んでくれます。


 昨日母のCTの結果が出ました。最近は主治医のいる病院では無く地元の別の病院で月一で撮ってもらっています。
主治医以外の所見ではありますが、「原発に変化は無し、多発転移部の増大は認められない、肝臓の嚢胞と思われる部分の変化は無し、骨転移を思わせる骨破壊像も無し」との事でした。安心しました。

 肝臓の影が本当に嚢胞なのかが心配ではありますが、そういう見方をしたらそもそもCTだって画像に映るものだけで判断している訳で、実際細胞レベルでの転移や増大は写真では分かりません。
 ジェムザール、ナベルビンの量は増えてきつつはありますが現状維持は出来ている、という事なのだと思っています。維持が出来るくらいに効いている内は同じ薬剤で、再び増大のスピードや転移が見られたら薬剤を変えるタイミングなのだと思っています。

 10月には脳転移の検査があります。前回の処置箇所の経過も当然の事ながら気になりますが、新しい転移が無いよう、祈るような気持ちです。

2007年9月15日土曜日

暑さ舞い戻り

 すっかり秋の気配だと思っていたら今日は真夏のような暑さ!でも暑さの勢いは確実に落ちています。とお〜くに秋の匂いがします。

 母はナベルビン単剤の治療にジェムザールを足して3回目の投与を終えました。白血球の値が3000を切ると投与中止になりますが何とかウィークリーで投与出来ています。
 肺原発もCT画像によるとミリレベルで増大はあるようですが、何とかコントロール出来ているようです。咳が増えているのは肺内転移が増えているからかも知れません。
 気になるのは腫瘍マーカー(CEA)が今回ぐっと上がってしまいました。原因は何なのか。画像と合わせないと何とも言えませんが、今の薬がどのくらい奏効しているのかが気になります。

 以前セカンドオピニオンを聞きにいったあの有名なH先生は「何クールやってから検査をして、というやり方では無く、一回の投与で一回ごとの検査と評価が必要。それで効く気配が無ければ薬剤を増やすか変える。」という意見でした。
 とても納得のいく意見です。今回のマーカー上昇で、次薬剤は何をお願いしようか、と考えました。

 主治医は「一クール(4回〜5回投与)を終えてからじゃ無いと効いているかどうかは判断出来ない」と全く逆の事を言います。
薬剤がある程度の時間をかけての積み重ねで体内に効果なり影響なりを及ぼすのであればそれも一理あるとは思います。

 一方向だけの意見に傾倒しすぎるのも危険ですね。
主治医はH先生の意見や治療法を「マイノリティーの中でのデータを元にしている。標準的な治療は、はるか多くの人のデータを元にしていますから」と言います。それも分かります。患者家族の立場としては患者自身が苦しく無く、長生き出来るノウハウを持つ(と思われる)医師の意見に大きく傾倒してしまいます。その事でスタンダードの尊さを見逃さないように注意せねば、と思っています。

 原発が抑えられていると転移も抑えられているような気もしますが、実際どうなのでしょうか。
脳転移の今後が気になります。

 イレッサに戻る時期はいつか、もしくはタルセバが発売になれば真っ先に試したい、でも副作用は、、、、TS−1の効果の程は?などと改めて様々な治療法が頭を巡ります。

2007年9月3日月曜日

近況


 先週末から仕事が立て込んでいて、その勢いのまま名古屋へ行き、昨日戻りました。
名古屋の帰り道にとある温泉地へ。立ち寄り湯を目当てに行ったのですが見つからず。でも変わりにこんなお寺を見つけました。
(写真)

ガン封じの寺だそうです。
写真にあるように絵馬のような札が沢山吊るしてありました。これは絵馬では無く、札に人間の体の絵が描いてあり、その絵にガンの部所を記して年齢、住所、名前、願い言を書くのです。私も母の為に札を買い、肺と頭に印をして「進行しませんように」と願い言を書きました。考えてみたら凄いプライバシーの公開ですが、ここに来て札を買うに至る人は皆切羽詰まる思いの人が多く、そんな小さな事を気にしている場合では無いのでしょう。
この札を見てガンが治る健康食品などのセールスを考えるような輩には天罰が下るに違いありません。


 悪いとは思いましたが他の人の札を見てみると、、、胃や下半身に印をしている人が圧倒的に多かったです。中にはやはり胸部、頭部に印をしている人もいて、これは50代後半、60代の女性が多く、母のお仲間だと思いました。
 中には「全身」黒く塗りつぶしている人もいて、これはもの凄い進行している方なのかしら、と思っていたら、結構「全身」の札があり、これは健康な人がガンにならないように願をかけている事に気付きました。

 お父様を若くして食道がんで亡くした友人曰く、「あの時は神も仏もご先祖様も全部信じられなくなった」そう。
彼女の気持ちも分かります。無理もありません。見えない何かにすがる気持ちの余裕も無くしてしまう程悲しい出来事だったのだと思います。

 ガン封じの寺がどれだけ信憑性があるのかは分かりませんが、これだけ多くの患者さんが集まって真剣に祈りを捧げた場所であれば、それだけで尊いお寺なのかも知れません。

2007年8月29日水曜日

脳の検査結果


 今日はサイバーナイフセンターの受診日でした。
前回は22個の転移腫瘍の内、比較的大きいものを12個照射してもらったので今回は残りがどうなっているか、更なる転移があったらどうしよう、、、とドキドキしながら母をMRI室へ見送りました。

 少しして先生に呼ばれて「今回は処置しなくていいね」と言われました。
前回の処置箇所の経過が良い事と、処置をしていない箇所に関しても増大が認められないとの事で、処置は据え置きとなりました。
一泊入院の予定でしたので拍子抜けしましたが良かったです。

 サイバーナイフセンターの主治医は良い先生です。
ぶっきらぼうなようですが、細やかに気を使ってくれて、こちらが過剰に心配しないような話し方をしてくれます。
この先生になら母を任せられる、と思えます。この気持ちがあるのと無いのと、病気に立ち向かう上で大きな違いがありますよね。

 さて肺の方の経過はどうなのか、近日中にCTを撮ります。
心配は尽きませんが、このようにしていつの間にか◯年も経ってたね!!なんて話せていたら良いのですが。

*珍しく写真を載せてみました。面白い顔の猫。うちの猫ではありません。
実家には5匹の猫がいましたが今では2匹になってしまいました。
 

2007年8月27日月曜日

日々

 慌ただしく過ぎて行きます。
あれもこれもと目標だけは立てるものの、なかなか予定通りに事は運びません。

 母は明後日からサイバーナイフの治療が再開します。今回は2日かけて何個の転移を潰せるのでしょう。
新しい転移が無い事を祈りつつ、例えあってもサイバーくん、潰してくれよ!!

 新しい薬が出るかも知れないし、今しばらくは大丈夫に違い無い、と少し前向きな気持ちになったり、反面肺ガン4期である事実は明白で、全く楽観出来ない現実を目にして落ち込んだり、それをここ数ヶ月繰り返しています。毎日がバタバタと過ぎてしまうのはむしろありがたい事なのか、、、告知から一年半を迎えて、ある瞬間母の病気の事を忘れられるようにすらなってきた自分もいます。
もちろん今安定しているという事が第一にありますが。

 雑多で割りの悪い仕事ばかりを抱えている私は元来の短気も手伝って良くイライラ星人になってしまいます。
今日の仕事は色々な側面から見ても詰めの甘さが気になってうまく集中出来ません。その事を友人に話した時に「ああした方がいい、こういうのはどうか」「そこまで考える必要は無い」「それはあなたが決める事では無い」などと色々アドバイスをもらいました。

 言ってもらえるのはありがたいのですが、どうにも居心地の悪さを隠せずに早々に引き上げてしまいました。


 彼女がくれたアドバイスは自分の物の見方に対する自信に満ちあふれたもので、「私」という人間の視点を一切省みない、一方的で高圧的な意見のように思えました。

 関係無い話のようですが、、、ここから繋がります。
母の病気を一年以上支えてきて、私も同じような口調で母に対して発言した事がある事に気付きました。
当然の事ながらインターネットをあれこれ駆使出来る私の方が情報には通じている訳であって、それを笠に着て母本人が望む治療よりも私が母に受けて欲しい治療をベストだと思っていました。

 母は良く「私は子育ても終って余生を過ごしている所だから、あんまりギューギューと自分を追いつめるような治療はしたくない」と言います。
 患者家族として知り合って、告知当初から私を支えてくれた友人がいつも「お母様が望むのは何なのかを考えてあげて下さい」と私に言ってくれました。
 彼女のお父様は脳転移からガン性髄膜炎になって亡くなってしまいましたが、最後までお仕事を続けたい、と望んだお父様の意志を第一に尊重し、お医者様から薦められた全脳照射を受けずに亡くなった事は後悔していない、と言います。
 まだまだ甘い私です。
 

 

2007年8月22日水曜日

PET結果

 今週月曜日のPETの結果が出ました。
肺原発の大きさは前回と殆ど変わり無し、肝臓、骨への転移の所見もありませんでした。一安心です。
でも、、、心の底からその所見を信じられない私がいます。
何故ならこの主治医、母の告知当初もの凄い事をやらかしてくれたからです。

 肺腺ガンで両肺に転移があるという事が分かった2006年の3月の時点でPET画像の頭部に黒い丸いものが写っていました。主治医は「脳に腫瘍のようなものがありますが恐らく良性だからこれは心配ありません」と言ったのです。
まだ肺がんの事を何も知らない私たち家族は「良性ならよかった」と思ってしばらく放置してしまったのです。

 色々調べるにつれ肺がんが脳転移の可能性がとても高い事を知り、改めてあのPETに写っていたものは転移性脳腫瘍なのでは無いかと心配になりました。抗がん剤3クールを終えた4ヶ月後、再度PET検査を行い、大きくなっている頭部の影を発見しました。
 その時の私の「これは脳転移では無いのですか?」という質問に対して「これが悪性の腫瘍であるかどうかを調べるのには脳を開いて細胞を取らないと何とも言えません」という返答。

 あまりの曖昧な回答にしびれを切らした私が「肺がんでこのステージだと脳転移し易いのですよね」と言うと私だけに見えるようにPET診断の専門医が書いた診断書を見せました。
そこにははっきりと「転移性脳腫瘍」とありました。

 母の前で主治医と言葉を荒げて話をしたく無いし、起きてしまった事はもう仕方が無いので診察室を出てから母と父には脳転移がある事を告げました。
 私の心にはただ「どうして告知段階で転移性脳腫瘍だという事がわからなかったのか」という事だけがぐるぐると巡りました。こんな素人でも調べ当てられるような事をどうして良性と言い切って放置したのか。

 腫瘍は3.8センチにまで肥大していたので(告知当初は2センチくらい)ガンマナイフの対象外となり、Xナイフという定位性放射線治療を受けました。ガンマナイフよりも初期からある機器で、当然誤差範囲も大きいです。
 腫瘍はその他にも2、3個あったようです。よくも放置してくれたな、と最初のPET所見をした脳外科の医師を恨みました。
呼吸器専門の主治医も肺がんの脳転移の症例は沢山見ているでしょうに、どうして、と今だに不信感が払拭出来ません。

 その後ずっと気になっていた先生の所へ両親と一緒にセカンドオピニオンを聞きに行きました。
告知当初のPET画像を見て「これを良性というのは相当のドジですね」と言われました。
イレッサを飲み始めて3日めの事です。結果的にイレッサがとても良く効いたので転院を見送りました。イレッサの処方はどこの病院でも一緒です。

 その病院はいわゆる患者を抱え過ぎている田舎の大病院です。
良く聞く話ですが、母のような治癒の可能性の無い患者にはさっさといなくなって欲しかったのでしょう。
告知の時も治療の可能性は無い、という後ろ向きな注釈付きで「無治療という手もあります」と私は後でこっそりと告げられました。

 あれから何度も病院を変えようと発案しましたが父は反対をします。
地元から離れた場所で治療を受ける危険性を主張します。終末期の在宅医療は地元の医療サービスを受けなくては不可能です。父がそこまで考えていたかどうかわかりませんが、患者家族仲間のお母様が遠い病院にわざわざ通っていた事が災いして苦しい思いをして亡くなってしまった話などを聞き、あながち父の主張も間違っていないのだと思いました。

 主治医がどういうつもりで脳転移をうやむやにしようとしたのか、未だに分かりません。このまま不信感を持って治療を続けるのは良く無い事なのですが、一つ良いのは主治医はこちらの希望を100%に近いくらい聞きます。
抗がん剤の減量、増量、種類に関しても。検査の内容もペースも言いなりです。そこをプラスに捉えて、今は完全にこちら主体の治療を行ってもらっています。

 病院選びは本当に難しいですね。


 
 

2007年8月20日月曜日

明日は山へ!

 数ヶ月前から仕事仲間と「月一自然に触れる会」を発足しました。会と言ってもたった二人ですけれど。
彼女と私の間には適度な距離間がありながら同じスピ−ドの時間が流れているようです。ちょっと早起きして樹々のパワーに癒されて来ようと思います。

 母は告知を受ける前まで今私が暮らしている都内にほど近い地域に30年以上住んでいました。父の定年と姑の死去をきっかけに自宅を処分、今の田舎暮らしを始めたのですが、告知当初はその事を随分後悔していたようです。私も同感でした。
医療の充実を求めたら関東では東京都内には敵いません。近郊にいればあの病院も、この病院もあるのに!と歯がゆく思いました。


でも。
空気が良い田舎で犬と猫と、広い庭と花達と、今までの両親の経緯を何も知らない新しいネイバーたちと築く新しい関係は今の母の命に大きな力を吹き込んでいる気がするのです。
 あのまま都内近郊にいたら確かに様々な病院の選択肢があり、短時間で高いレベルの治療が受けられたかも知れません。
でも両親が数年前に下した決断は決して間違っていない、と私は思っています。それが何だか分からないけれど人間が本来持ち合わせている命の力を信じていたいです。

 告知当初は母の病気が受け入れられずに私自身かなり苦しみました。
もっと近くにいてくれればいつでも顔を見られるのに、あとどれくらい一緒にいられるかわからないのに、とネガティブな思いに心が支配され、現状の良い部分を全く見られなくなっていました。今後自分が何かを楽しいとか嬉しいとか思ったり出来るのだろうか、とまで思ってしまいました。それほどに大きい出来事でした。


 あれから約一年半。
不安材料は尽きませんが母の病気を通して、色々な人が抱えている不安や苦しみ、自分自身これから乗り越えなくてはいけない現実が漠然とイメージ出来るようになりました。私自身の命も永遠では無いからこそ今母に出来る事、自分自身の為に出来る事を深く見つめて生きていかなくてはいけないのだと改めて思っています。

 母の病気を通して知り合った友人のお父様が数ヶ月前に亡くなりました。
残されたお母様が精神的に不安定な状態にある事を今日知りました。無理も無いと思います。自分に置き換えてもそう思います。
精神内科を受診されるとの事、お母様が少しでも楽になれる事、支えるご家族のご健康をも祈らずにはいられません。

 どんな人もそれぞれの苦しみを抱えて生きているのだと、当たり前のような事が妙に心にしみる今日このごろです。
明日はこんな話も樹々と出来るかしら。

 

 

2007年8月17日金曜日

近況

 猛暑が続きます。冷たいものを飲み過ぎないように、クーラーにあたりすぎないように気を付けてはいるものの、どうにも堪え難い暑さでついつい冷たいビールやクーラーの冷気に甘んじてしまいます。

 母が肺腺ガン4期の告知を受けてから一年と五ヶ月が経ちました。
告知当初は余命一年を宣告されていたので今母が日々の暮らしを元気な時と変わり無く出来ている事はまさに奇跡のようなありがたい事実です。でも人間とは贅沢なもので、常に現状以上のものを求めてしまいます。来年も、再来年も元気でいられるように強く願ってしまうのです。

 少し前に放映されたドラマ「はだしのゲン」を録画しておいたものを昨夜見ました。
号泣してしまい今朝の自分の腫れた顔にびっくり!愛するもの同士が理不尽な力によって引き裂かれる事はあってはならない事。そんな誰にとっても当たり前の真実が踏みにじられる戦争が今もこの世界で行われている事は本当に悲しい事です。
生きている意味、これから先自分が出来る事、、、、などなど、、、深く考えました。

 今月末にまたサイバーナイフ治療が再開します。
母の体には今どれくらいのガンが散らばっているのか、考えると恐ろしくなるのですが、今の所肝臓や骨は大丈夫のようです。
でもいずれ、、、と後ろ向きな考えが芽生えるのと戦う毎日です。
 
 タルセバが承認されたのにどこを見てもあまりピックアップされていません。何故でしょう?
主治医曰く承認されても厚生省が認可しないと実用に結びつかない、とのこと。
 新薬の実用への経緯を今ひとつ理解出来ません。ただ多くの人がタルセバの発売を待ち望んでいる事は事実です。多発性脳転移やがん性髄膜炎にも効果があると聞きます。
 
 とりとめも無い内容になってしまいました。
最後にコメントに関して。
せっかく入れて頂いたコメントがなかなか反映されずにご迷惑をかけていたのですが、先日から所定のメアドにコメントを送信してもらう設定に変えてみました。時間差が生じてしまうのですが反映されるようになったようです。今後とも懲りずにおつき合い下さいませ。

2007年8月13日月曜日

Back in Tokyo

 仕事で関西方面を5日間まわっていました。今日の9時頃帰宅しました。車での移動でしたので各箇所でお盆渋滞に巻き込まれイライラ、、、シーズン的に交通集中による渋滞は理解出来るのですが、その中で追い打ちをかけるような追突事故、ホリデイドライバー達の溢れる道路上の事ですから仕方の無い事なのでしょうか。
 通常一時間の移動が5時間かかったりと尋常では無い事態でした。

 母はナベルビンにジェムザールを併用して量剤とも減量した治療を続けています。マーカー値はCEAが20代で横ばい。現状維持出来れば良い、と思って選択した治療法ですが、なかなか難しいです。
 ジェムザールを足してから抜け毛が多くなったと母は気にしています。タキソールやタキソテールなどのタキサン系の薬は脱毛はほぼ確実だと言われていますが、ジェム、ナベルあたりは比較的このような副作用も少ないと聞いてはいます。


 今月又地元の病院でCTを撮ります。PETもやります。
転移と増大がありませんように。肝臓への転移が怖いです。

2007年8月5日日曜日

タルセバ!

 待ってました!!
ニュース

承認から発売まで少し時間がかかるようですが年内の発売は確実との事。これまでどれだけ多くの人が待ちこがれていた事か。私たち親子もそうです。個人輸入して継続する経済力のある人は一握り、というのがこれまでのタルセバの認識でした。

 イレッサが耐性となり、抗がん剤が思うような効果が出ないで原発の増大、脳転移が再発してしまった人たちの頭にはまずタルセバが浮かびます。それは分子標的剤の素晴らしい効き目を知っているから。
それは母のようなイレッサのスーパーレスポンダーにはまさに命を繋ぐ薬でした。

 原発含め転移部の80%の消滅、5ヶ所以上あった脳転移の消滅。母に於いてのイレッサの偉業です。
イレッサが効いた人にはタルセバは効く、と言われています。でもこれもわからないので過大な期待は危険ではあるのですが、変な咳をし始めて、多発脳転移が発覚し、病気が本来の勢いを取り戻してしまった母には一筋の希望の光である事には間違いありません。
一日も早い発売を待ちこがれると同時にイレッサのような副作用の悲劇が繰り返されない事を願うばかりです。

 母と二泊の旅行に行きました。
お墓参りが目的です。そのお墓には父の先祖、そして母方の祖母がいます。
そのお墓を訪ねる度に、私が今この世に生を受けている不思議、そして深い感謝の気持ちが沸き起ります。私の祖母、祖父、そしてもっと前に生を受けていた会った事の無い家族たちが生きていた時代に静かに思いを馳せてみたりもします。

 お墓石を洗ってお花を供えて姪や甥や姉たちと手を合わせました。
母を見守って下さい。私たちを見守って下さい、と。ご先祖様たちにはちょっと荷が重たかったかしら。

 私は無宗教です。
でもそれは名前のある特定の宗教を信じていないだけで、自分なりに生きていく上での指針となる思いはあります。
ご先祖様や自分にゆかりのある人たちがいつも見守って導いてくれている事を感じて感謝する事。それを私は自分の宗教としています。



 

 

2007年8月1日水曜日

日々せわしなく

 毎日何かに追い立てられるようにやらねばならぬ事が満載です。忘れてはいけない事をメモする紙が机に沢山あります。でもふと気付いてみると本当にやらないといけない事を整理すると「今で無くても」という事も出てきます。元来生真面目で責任感が強いところがあり、自分としても逆よりはいいか、と思いつつ、リラックス下手である事は間違いありません。

 母は今サイバーナイフ治療を中断中です。至って元気で良く食べて日常動作も全く以前と変わらずです。
脳転移があると厳しい状態である、多発転移なら尚更、などネガティブな情報に過敏になってしまいますが、同じ状況でも長く病気と共存されている方もいます。
 
 私がブログを書くきっかけを作ってくれたガン友MAPのミームラさん、毎日ブログを拝見していますがなかなか新しい記事がアップされないので心配です。
 ミームラさんも多発脳転移があって全脳照射の治療をされたそうですが、なかなか体調が戻らないのでしょうか。どうか一日一日少しずつでも良い方向に向かっていく事を切に祈ります。

 明後日から母を連れて旅行に行きます。途中から姉と子供たちも合流します。あと何回このような旅行が出来るのか考えてしまいます。今日はどうも前向きになれない私です。

2007年7月28日土曜日

暑いですね

 梅雨明けの発表を待たずに夏本番、今日は猛暑でした。何をしていても汗が流れます。
一昨日から実家におりました。月一回は2〜3日両親と過ごす事にしています。母は咳が多く気になりますが至って元気で、サイバーナイフは素晴らしく副作用が無いものだと改めて痛感しました。

 抗がん剤の方は種類や量が増えたと言っても標準的治療に比べると半量に近いのでこちらも副作用はあまり感じていないようです。
作用しているのかどうかが謎ですが、、、
 本人は至って呑気で、微妙に上がり続ける腫瘍マーカーや多発脳転移にもあまり動じていないようです。内心は分かりませんが、ネットで様々な知識を得ようとしている私との間には治療に関しての解釈や展望に開きがあります。

 「もう子育てもとっくに終っているからあまり追いつめた治療をしたくない」と良く母は言います。
私にしてみれば父を残していかないで、とか、もっと老後を楽しんで欲しい、など勝手な希望はありますが、本人の感覚を一番尊重すべきなのでしょうね。

 このブログ、謎が多くてやはりコメントが入らない、という話を聞きます。
アドバイス頂いた通りに設定を変えてもういじる所が無いような感じなのですが、、、申し訳無いのですが読み逃げして下さいね。

2007年7月27日金曜日

サイバーナイフ治療 続報

 4日間に渡るサイバーナイフ治療を終えて、一旦休憩です。一日2〜3個の腫瘍の処置、合計12個の処置をしました。
残ったものは今すぐ処置を必要としない微小なものだそうで一ヶ月後の通院で再度処置予定です。

 サイバーナイフセンターに通う中日に肺の診察がありました。私が事前に書いておいた主治医への抗がん剤治療内容の変更をお願いする手紙を母に託し、その日からナベルビンの増量と新しくジェムザールも加えてもらいました。
まだまだ標準治療には届かない薬量ですが、肺原発を抑えてくれる事を祈るのみです。

 この短期間での多発転移は今後が不安になるばかりですが、まだ起きていない事に落ち込んでいても仕方ありませんね。母は元気に家事をしています。習い事もしています。そのささやかな幸せを守る為に戦うしか無いのです。

2007年7月21日土曜日

サイバーナイフ治療開始

 今日から治療が始まりました。
細かく数えたら24個ほどの多発転移があったそうです。今日から10日ほどかけて一日2〜3個の腫瘍を潰していくそうです。
全脳照射にならなかっただけ良かったかも知れません。

 サイバーナイフセンターのMRIは精密なので通常見えないような転移も見えているのかも知れません。
ふと気を抜くとネガティブになる自分がいますが、戦いたいと思います。

 「前向きに、大丈夫だよ!」と励ましてくれる友人もいますが、こんな時に前向きになりたいけどなれない、大丈夫だなんて何故わかるか、などと天の邪鬼になる贅沢者の私です。自分が思っている以上にショックを受けているようです。

脳転移

 今日は母の脳MRI検査に同行しました。昨年から某サイバーナイフセンターで診てもらっています。

 結果、、、、何と15個以上の多発転移がありました。
イレッサを休薬した時点でどこかで覚悟していた事態ではありますが、さすがにショックでした。

 センターの主治医は変わり者のような風貌の、口調もちょっと荒いような先生ですが、実は凄く細やかにこちらが神経質にならないように気を使ってくれている先生です。私はとても信頼しています。
 
 先生曰く「五月の時点では確かに何も見えなかった。でも自分の中では事態はあまり変化していないんだよね。こうなる事は想定内だよ」との事。私にとっては安心出来る言葉でした。
画像に見えているかいないかの違いだけで、既に過去に脳転移の経緯があるという時点でこの事態は予測出来る訳で、実際治療にかかる時期を遅めたのがイレッサだったという事ですね。

 肺の原発の治療を考え直す時期である事も認識しました。
減量した抗がん剤治療がベストだと思って主治医に遂行してもらっていましたが、副作用も無い変わりに作用もしていないようで、先日のCTでも「原発、転移部の若干の増大」が認められました。

 ナベルビンの量を増やすのか、ジェムザールと併用するのか、とにかく少しでも進行を遅らせたい、と切に願っています。
肺の主治医はこちらの言いなりで、自分の意見を言わない人です。「この場合はこうした方が自分の経験上良い」と言ってもらえた事は一度もありません。

 サイバーナイフセンターでの治療は早速明日からです。
センターの主治医は「今後転移が増えても治療をするだけだよ、これからもね、淡々とね」と最後に言いました。
先生、母をよろしくお願いします。


 

2007年7月17日火曜日

地震

 仕事で東北地方に行っていました。
ゆっくりの朝で、ホテルで身支度をしていると突然グラッとめまいがしたような感じがしました。すぐに地震と気付き、しかも揺れが大きくなっていったので靴を履き部屋から出られるように準備しました。
 幸い揺れは治まり、館内放送でも避難の必要性は無いという事で安心しました。

 テレビを付けると新潟県中越の震度が6強だと知りました。また新潟。どうして?と思うと同時に新潟の親戚の事が心配になりました。メールを送ると、かなり揺れたけど家族全員揃っている時だったので心強かったとの事。怪我などの被害は無かったようです。

 この地震による死者の数は増え続けています。
人間っていつどんな風に死んでしまうかわからない。
天災によって何の前触れも無く大切な人の命が奪われてしまうなんてどれだけ無念な事でしょう。想像するだけで心が痛みます。
 
 東北からの帰り道に母から電話がありました。
私の身を案じてくれていたようです。親というのはありがたいものですね。

 今週母をサイバーナイフセンターへ連れて行きます。
脳の定期検診です。イレッサは脳転移にも劇的に作用していました。イレッサを休薬中の今、新しい転移が無いかどうかが気がかりです。

2007年7月12日木曜日

近況

 今日は母の通院日、同行は出来ませんでしたが、予定通りナベルビン投与完了とのメールが届きました。
減量投与ですので白血球値も限りなく正常値に近く、体調も良いようです。母曰く「効いている感じがする」そう。こればかりは経験が無いので分かりませんが「目、鼻、額の皮膚がぴりぴりと引きつるような感じ」がするそうです。特に痛みがあったり不快だったりする訳では無いようですが、減量した投与でもこのような体感があるというのは抗がん剤が並外れて強い薬であるという事を思い知ります。
 腫瘍マーカーも画像の所見も取りあえず現状維持は出来ているようです。何事も「気」が大切。効いている「気」がするのは良い事です。

 話は変わります。
仕事の現場で「Moon River」を聴きました。何度も聴いた事のある良く知っている曲なのですが、その時は妙に心に染み渡り「ああ、本当に良い曲だな、、、」と今更ながら涙が出るくらいに感動しました。
 Moon Riverのメロディーがここ数ヶ月頭を離れず、心の中でずっと歌っていたのですが、今日やっと「Breakfast At Tiffany’s」のDVDを観ました。’61年の作品、正に母の青春時代の映画です。
 ストーリー自体はシニカルな笑いを含んだ深みのある作品で全く古さは感じさせず、母が過ごした二十代への思いを馳せつつ、60年代のアメリカへの憧れがより強くなりました。

 とにかくAudrey Hepburnが素晴らしく綺麗でチャーミング。
Audreyは60台前半で結腸ガンで亡くなったとか。
 晩年の貧しい子供たちの為に東奔西走していた映像を見かけた事があります。あの凛としたたたずまいから察するに最後まで望む生き方を全うしたのだろう、と想像します。

 Audreyに重ね合わせるのも恐れ多いのですが、母にもそうあって欲しいと願います。
出来るだけ長く生きて欲しいと願うのは娘として当然なのですが、今後の治療の選択に関しては、私の思いよりも母がどうしたいか、どれくらい生きていたいか、よりもどう生きていたいかを話し合って決めていきたいと思いました。
 


 

2007年6月29日金曜日

悲しい出来事

 前にもこのブログで書いた事がある、患者家族として知り合った友人のお父様が28日、亡くなりました。
彼女のお父様は母と同じ歳、同じ肺腺ガンでした。

 お父様のご様子はずっと気になっていて、どうしただろう、と毎日思いながら、でもあまり連絡しすぎるのもはばかられて心でお父様の容態の安定と彼女の心が強くあるように祈る事しか出来ませんでした。

 今朝6:30頃携帯にメールが来てお父様が亡くなられた事を知りました。言葉少なにその事実だけを伝える文面に、逆に彼女の心が伝わりました。

 彼女から学んだ事は計り知れないです。
母の告知を受けて半ばパニック状態で辿り着いた掲示板で私の泣き言に返事をくれて、こんな治療法がある、あんなのもある、と色々と教えてくれました。今母が受けている低量の抗がん剤治療のヒントをくれたのも彼女です。
今が一番辛い時で、あと少しすれば現状を受け入れて立ち向かえるから、と言ってもくれました。

 個人的に連絡を取り合う事になり約一年、どれだけ励まし合った事か。
お互いの親の治療がうまくいき喜び合った事もあり、その逆もあります。
何よりお互いに親の愛情を沢山受けた幸せな子供であるからこそ分かり合えたのだと思います。

 今の彼女の悲しみは想像するに余りあります。
入院する数日前までお仕事の現場にいらっしゃった彼女のお父様の生き様は、遠く離れた、会った事も無い私のような人間の心も大きく揺さぶります。

 人はいつか死ぬ、これは誰にも等分に訪れる事実です。
いつかは私も母を見送り、父を見送り、もしかしたら夫も見送り、自分もこの世から去る訳です。それがいつかなんて誰にもわからない。いつまで生きられるか、では無くどのように生きていくのか、またどのように生きたかを見つめて行けば少しは楽になるのでしょうか。
 
 友人のお父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。


 

 

 

 

2007年6月27日水曜日

通院日でした。

 今日は久しぶりに母の通院に同行出来ました。
イレッサを休薬して下痢の副作用から解き放たれた母は食べる楽しみに浸っているようで顔色も良く、少し太ったと喜んでいました。

 ナベルビン単剤投与を二回後初めてのレントゲン画像は少し転移部分が薄くなってきているとの事。
素人には今ひとつ分かり辛いレントゲン画像、やはりCTの方が良いですね。

 腫瘍マーカーはCEAが微妙に上がっています。不安になりますが、画像診断が良かったという事で良しとしましょう。

 主治医は私が提示している標準的では無い治療に判断に困っている様子が伺われます。
でも標準的な治療で起こりうる副作用は想像が付きますし、現状維持しか求めていない母にはやはり減量した抗がん剤の投与が合っていると思います。
 気になるのは非積極的な主治医の態度です。もの凄い患者数を診ていらっしゃるのでしょうから無理も無い事ですが、全てにおいて「では今回はこの治療で頑張りましょう!」というような向かっていく姿勢が感じられません。
求め過ぎなのでしょうか。こちらの意見を受け入れてもらえるだけで感謝しなくてはいけないのかも知れませんね。

2007年6月26日火曜日

治療経過

 母は6月の半ばからナベルビンの単剤投与を開始しました。主治医の意向で2週間連続投与で一週間ブランクを空けるそうです。
少量からの投与という事もあり白血球の減少は殆ど無いようです。副作用も無いようですが、その分作用も無ければ意味もありません。
 それを確かめるには腫瘍マーカーの頻回の検査に併せて画像診断が必要だという事はH先生のセカンドオピニオンで充分理解しました。

 ところがそのように追跡出来る検査は今の保険診療の枠内では無理で、偶然近くのクリニックで腫瘍マーカーの自由診療をしてもらえるとの事で、一週間に一回の3種類の腫瘍マーカー検査を行っています。一回5000円弱です。
 主治医の許では3ヶ月に一回しか撮ってもらえないCTもそこのクリニックの先生を通して月一回近所の大型の病院で撮ってもらえるようになりました。

 今までの経過を辿ると、母に於いて指針となり得る腫瘍マーカーはCEAのようです。一応SLX、CA19-9も調べていますが両者ともに標準値以内です。
 イレッサ開始前は70以上あったCEAがイレッサ開始とともに14台まで下がりました。今は19台を行ったりきたり。ナベルビンを始めてから19台から18台に下がりました。誤差範囲内なので効果があるかどうかは分かりません。やはり画像診断が必要です。
 CEAの標準値が5ng/mlだと考えると18台でも充分異常な数値であり、1、2くらいの変化に過敏になってしまます。


 色々な方法がありますね。使えるものは全部使って、というと響きが悪いですが、命がかかっている問題ですから、ご協力頂ける所には甘んじています。

2007年6月17日日曜日

懐かしい空気

 入梅と思いきや何とも良いお天気が続いていますね。まるで梅雨明け後の夏の到来のようですが朝と夜は涼しげな空気になってとても気持ちがいいです。子供の頃、父の転勤で数年間イギリスに暮らした事があります。
日本の初夏はイギリスの真夏とちょっと似ていて、ここ数日懐かしい在英時代をよく思い出します。
 
 あの頃の母は40代前半で、今の私とそんなに変わらない年齢でした。運転免許を取り(当時は取り直しでした)、語学学校に通い、夏休みには姉と私を連れてヨーロッパ巡りの旅行にも連れて行ってくれたパワフルな母。でもその頃から良く咳が出ていたと言います。
語学学校の先生に「咳の音がするとあなたが来たって分かるわ」と言われていたそうな。

 病気が分かった時に「どれくらい前からガンがあったのか」先生に聞いてみた所、「3年から20年」というメチャクチャ的の大きい返答でした。今となっては究明しても仕方の無い事ですが、20年って、、、、、。

 ナベルビンの投与から4日、少量投与から始めた事もあり体調はすこぶる快調のようです。
イレッサを辞めて下痢から解放されて「とにかく食べてやる!!」モードに突入したみたいです。体重が少し戻ってくれると良いのですが。

 友人のお父様は今日から会話が困難になってしまったそうです。
彼女の気持ちを考えると励ますのも違うし、分かるよ、と言うのも違うし。ただただ祈るばかりです。
 
 
 

2007年6月15日金曜日

梅雨入りですね。

 今日はお台場で仕事。
ほぼ朝から晩まで台場にいましたが雨に降り込められて仕事場から殆ど出ていません。帰りの車中から濡れそぼった観覧車を見て「ああ、梅雨入りだなぁ」と実感しました。

 私は雨は嫌いでは無いですが、母は気が滅入るようです。
母は田舎に越してから庭いじりを趣味にしているので庭で過ごせない季節はつまらないのでしょう。
確かにお天気がいいとそれだけで何か良い事があるような気がしますものね。

 昨年の梅雨時期はタキソとパラのニ剤投与で白血球値が戻らず、なかなか投与が予定通りにいかず、しかも脳転移まで発覚する、という最悪の時期でした。母は心身ともに落ち込んでしまい、痩せていく姿を見るのが辛かったです。
 今年の梅雨は何とか元気に乗り切ってもらいたいです。
 
 昨日からナベルビンの単剤投与が始まりました。
20ミリという極少量からのスタートです。近所の病院でCTと腫瘍マーカーの自費診療が出来るようになりましたのでしっかりと経過観察をして薬の効果を調べていきたいと思います。

 友人のお父さまはガン性髄膜炎を起こしている事がわかりました。
言葉もありません。ガンである以上、常に転移や合併症と隣り合わせである事を痛感します。
彼女の心とお父様の苦痛が少しでも楽になるように祈る以外にありません。




 

2007年6月12日火曜日

コメントに関して

 今まで「コメントが入らないよ〜」というお知らせを個人的に連絡を取れる方から頂いたりしていました。
やっと原因が、、、って遅いんですけど。

 先日コメントを頂いた方からアドバイスを頂いて発覚したのですが、コメントの設定が「会員だけ」になっていました。
「全員」という方に設定し直したので多分今後は大丈夫だと思うのですが、、、まだ不安は残ります。

 明日から母のナベルビン投与が始まります。ナベルビンは抗がん剤の中でも副作用が少なく扱い易い薬だそうな。
最小限の副作用最大限の効果を期待しています。勝手すぎる願いかしら。
そして来年には又イレッサを再開出来るといいんですけど、、、、投薬、休薬を繰り返して5〜6年も元気でいる方もいると聞きました。勇気が出ますね。

 件の友人のお父様、依然症状は改善されず、彼女自身も参っているようです。とても心配です。
いずれは私も歩む道かも知れません。とても他人事では無いだけ彼女の苦しい気持ちが私にも痛いくらいに伝わります。

  

2007年6月11日月曜日

思う事。

母の病気がわかってから約一年と三ヶ月です。

最初告知された時の話です。
全ての検査が終わり、「今か今か」と主治医との面談を父と母と三人で母の病室で待っていました。
待たされる事3時間、待つ目的が目的だけに限界です。すると看護婦さんがあらわれて「先日お借りした保険証をお返しするので娘さん、こちらで確認のはんこを頂いていいですか?」と言いに来た。「ハイ」と病室を出て廊下へ。すると看護婦さんは私に異常接近してきて、仕舞いには肩まで抱いて「お父様だけ呼んで頂いてもいいですか?」と言われました。
その時点で事態の80%は飲み込めた自分がいました。
「この状態で父を呼ぶのは不可能です。母に気付かれずに事を運ぶ自信がありません。私ではダメですか?」と言って主治医の下に付いている、私より幾分若い医師から母の腺ガンの告知を受けました。病室で両親がまんじりともせずに待っているので余計な事は一切省いて重要な部分のみ簡潔明快に説明して欲しい、と言いました。進行度は4期、両肺に転移、いわゆる末期である事、抗がん剤はあまり効かない、試すのはもちろん大丈夫なので家族で話して下さい、と言われました。「あとどれくらい生きられますか?」という私の質問にその若い医師は「一年、、、でしょうか」と言いました。

 それから両親の待つ病室へ。
寸前に話しがあった事はもちろん内緒です。主治医には余命と病期以外の事はだいたい話してくれるよう頼んでおいたので私に話すよりも少しソフトに両親に話してくれました。
真剣な顔でメモを取る母の小さい背中が今も忘れられません。

 定期検診が良く無くて、肺がんかも知れない、と母から聞いてからの数週間、私を支配していた嫌な予感が的中した瞬間でした。
たった一年少しまえの出来事。

 余命一年と言われた母は今も元気です。イレッサのお陰は勿論の事ですが、今年の桜も見られて、先日は二人で信州旅行にも行きました。この数ヶ月はまさに神様からのプレゼントのようです。
何が起きるかわからない、ガンは気紛れです。どうか母の体とうまく共存してくれる事を願ってやみません。

 来週からナベルビンが始まります。効きますように。
そして夏にはまた家族旅行が出来ますように!

 

2007年6月10日日曜日

祈り。

 母が肺がんの告知を受けてからずっと支え合って来た友人がいます。彼女のお父様は母と同じ歳で、母よりも少し早く肺がんが見つかった、言ってみれば患者家族先輩です。
友人と言っても彼女とはとある掲示板で知り合い、月数回のメールのやりとりで今まで支え合ってきました。会った事はありません。
こういうのってメル友っていうのが正しいのかも知れないけれど、お互いの状況が状況だけに様々な泣き言や悩みをぶちまけ合ってきた仲で、そんな表現も少し違うように感じます。
私はネットどっぷりの世代からは少し歳を取っているので通常ではあり得ない関係なのですが、母の病気に関しては彼女を始め、沢山の患者さんや家族の方とコミュニケーションを取っています。インターネットの無かった頃は本当に孤独な戦いだったのでしょうね。


 その彼女のお父様の体調が思わしく無い、という内容のメールが昨夜来ました。
肺原発は抗がん剤で素晴らしく抑えられているのに脳転移が続いていて、何度もガンマナイフ処置はされているようなのですが、今の症状は腰の痛みと吐き気が続いていて食事が摂れない状態が続いているそうなのです。
 少し前のPET-CTでは骨転移の所見は無かったのに腰の痛みが依然ヒドイらしいのです。吐き気と痛みなんて一番堪え難い症状が彼女のお父様を苦しめていると思うと辛いです。近くで支えている彼女のお母様や彼女自身も参ってしまわないか心配です。

 どなたかこのような症状に心当たりのある方はいませんか?対処策、その他何でも思い当たる事がある方がいたら宜しくお願い致します。

 近くだったらすぐに会って、何も出来ないけど話くらい聞けるのに。
彼女のお父様の症状が一日も早く改善されますように、祈るばかりです。

 

2007年5月30日水曜日

通院日でした。

 今朝は6時半に家を出て母の通院に同行しました。
田舎の大病院はとにかく混んでいる!普通の時間に行ったらまさに一日仕事になってしまいます。ここ最近の作戦は朝バカ早く出て診察券を登録して血液検査、レントゲン、あとは診察開始時間まで車中で寝て待つ。

 お昼を食べて一番に診察に診察室に呼ばれました。
先日のセカンドオピニオンの報告書類に目を通してもらい、主治医の意見を聞きました。薬剤の減量に関しては可能ではあるが、標準量というのにはそれなりのデータがあるのだと、H先生の持っているデータはあくまでもH先生の患者さんだけのものでありマイノリティーである事を理解するよう言われました。
 それは理解していますし、作用しない量を投与しても全く意味が無いと思っています。ただ体表面積だけで割り出す標準量をそのまま受け入れて、副作用を覚悟する事は母のような4期の患者にふさわしい治療だとは思えないのです。あくまでも現状維持、QOL第一と考えている事、主治医なりにさじ加減を意識してもらえるよう考えを伝えました。

 主治医は自分の意見をはっきり言ったり「こうしましょう」と引導を渡す事はしない人です。何を聞いても「それは人によりますから何とも言えません」とか「場合によりますから」と断言を避ける傾向があります。
 その分こちらの主張をそのまま受け入れてくれるような所があり、ある意味便利ですが、こちらはあくまでも素人の知識であり、主治医の知恵をプラスして臨みたい事も沢山あるのですがそれはかないません。今回もそうでした。

 さて今日のレントゲン所見は「イレッサの効き目が5割を切っている。休薬しますか、、、」との事。
ついに来月は点滴の抗がん剤が始まります。ナベルビン単剤、もしくはジェムザールとのニ剤投与です。まずは標準の半量から様子を見ます。近所の病院で腫瘍マーカーの自費診療が受けられるように紹介状も書いてもらう事にしました。

 ナベルビンが効きますように!!

独り言です。

 今日は母の闘病とは離れた内容です。

 私には子供がいません。多分これから先も子供を産む事は無いのかな、、、という気がしています。(こればかりは分からないですけれどね)
30代の始め頃に子供が欲しい、と思った時期もありますが、今思えばあまり真剣な願いでは無かったようで何だかんだと仕事や日常の流れに飲まれて今日に至っています。自分以上に大切なものに出会う幸せと引き換えに自分自身が求め続けていたものを一時的に中座しなくてはいけなくなる事に対しての恐れがあったのかも知れません。
 でも、、、、文字通り案ずるより産むが易しですね。同じような事を言っていた仲間が出産をして、仕事は以前のペースでは出来なくなったものの、幸せそうな顔で子育てに専念している姿を見ると何だか妙に納得する自分がいます。

 母から産まれて30数年、母からの愛情を沢山受けて育って来ました。この年になってそれを実感します。
ただただ母に触れていたかった幼少時代から反抗期を迎えた思春期、殆ど家に居着かなかった20代、結婚をして家を出てから約10年、近くにいても離れていてもいつも母の愛情を感じていました。ある年齢からはさすがに何をしてもどうにかしてくれる、とは思ってはいませんでしたが、絶対的に自分を愛してくれている誰かがこの世に存在していてくれる事がこれ程にありがたい事か、と自分に訪れたあらゆる局面で思っていました。

 その母の病気が発覚した時はショックで自分が「死ぬかと」思いました。いつかはこういう日が来る事を予測していない訳では無かったのですが、まだ65歳なのに?!あと少ししか生きられない?そして私はちゃんと母を送る事が出来るのだろうか?
 そんな不安で一時的にウツ状態にまでなってしまいました。

 でも少し時間が経って、色々な情報も自分なりに収集して、これはまだ諦めるべき段階では無い、戦うのだ!!という気持ちになりました。最初の抗がん剤治療で弱っていく母を見て何度もめげそうになりながら「これは私が受けた愛情への恩返しだ!」と思い、なるべく母の近くにいる事、母と過ごす一分一秒を大切にしていく事、そして母からもらった命を精一杯大切に生きていこう、と誓ったのでした。

 年だけは随分とってしまいましたが、どうやら中身はいつも母の手を探し求めていた幼少時代の私から成長していないようです。
でも最後まで戦いたいです。少しでも母と過ごせる時間が長くなりますように。

 

2007年5月29日火曜日

セカンドオピニオン報告

セカンドオピニオン報告

 仕事を終えて帰宅したのが24時半くらい。お風呂に入り、今日は冷えるので焼酎のお湯割りを飲んでいます。私のリラックスタイムです。旅先で増加した体重が食事量をコントロールしたせいで良い感じで戻っています。少し体が軽くなりました。

 さて、先日待望の(?)H先生のセカンドオピニオンに行ってきました!
一時間という限られた時間を有効に使う為に母と相談して質問要項を作って行きました。H先生は終始優しく分かりやすく話を進めて下さいました。お話のスピードが心地よい早さで、指摘は的確、しかも話し方に臨場感があり、「ふむふむ、、、、なるほど」と聞き入ってしまいました。

 ありったけのレントゲンとCT画像、血液検査結果、腫瘍マーカー値を持っていったのにも関わらず「資料が少な過ぎてイレッサの耐性がどうかははっきり診断付きかねる」と言われてしまいました。
 レントゲンは最低月二回、CTは月一回、腫瘍マーカーは出来るだけ多くの種類を週一、これが必須だそうです。
ちなみに今までレントゲンは月二回は撮っていたものの、CTは3ヶ月に一回、腫瘍マーカーは月一でした。これではガンを追跡する検査としてはお話にならないそうです。

 今の医療システムでは腫瘍マーカーは月一しか取れません。もっと取ろうと思ったら自由診療になってしまいます。今までの医療費の領収書を見ると腫瘍マーカーの検査料は約500円。これが3割負担だとしたら自由診療でも何とかなるかも知れません。問題はそれを行ってくれる医療機関があるかどうかです。

 CTに関しては「被爆を考えると3ヶ月一回が限度」と主治医に言われていた事を告げると意外な返答を頂きました。「そんなのは全部ウソです」との事。
 一人の患者に関して検査のし過ぎは医療費の無駄使いとして医師自身が国から叩かれるそうで、その逃げ口上として「被爆」という言葉を使うそうです。CT検査くらいの被爆は全く問題が無いとの事、、、、

 今後薬剤を替えて点滴の抗がん剤になったとしたら尚更、検査の内容とペースは大切になってくるそう。投与した薬剤が作用しているかどうかを頻回にチェックする必要性があるという事です。

 果たしてこのような検査を実行しながらガン治療を行ってくれる病院ないし医師がどれくらい今の日本にいるのでしょう?
医師もただでさえ激務の中、政府と戦うのは並大抵では無いと思います。
弱いものいじめの日本の政治、余計な事にお金を使っている余裕があるのなら医療費にまわせ!!と声を大にして言いたいです。


 その他にもプラチナ剤の使い方や薬剤の減量の薦めなど、有意義なオピニオンを沢山頂きました。行って良かったです。
医者と患者も人間同士、信頼関係を作って自分の納得のいく治療を受けられるように充分話し合いをして下さい、という言葉が心に残りました。がんばろう!
 

2007年5月23日水曜日

セカンドオピニオン

 仕事で約一週間家を明けていました。一日2食から3食全て外食になるのは辛いものがあります。もちろん普段は食べられない土地土地の美味しいものを頂く機会でもあるのですが、我が家の朝ご飯の定番、玄米と納豆、魚と漬け物を食べられない生活は一週間が限界です。
、、、そんな訳で昨日からダイエット開始!!

 一石二鳥とばかりに今日はベランダの掃除に精を出してみました。庭からホースをつり上げて、せま〜いベランダをごしごしと磨いて約一年分の汚れ(!)を洗い流しました。カロリー消費も出来たかしら。とても爽快な気分です。

 母のPETの結果が出ました。
肝臓、骨への集積は見られず、肺の原発、転移部分の集積有りとの事。
イレッサを服用し始めて3ヶ月めの検査では肺原発以外の集積は認められませんでした。という事はやはりイレッサの耐性が始まっているという事ですね。仕方ありません。服用を始めて8ヶ月、肝機能値が正常を保てているだけでも感謝すべき事かも知れません。
CEAは19台をうろうろしている状態という事もあり、主治医の判断はイレッサ続行。
 
 イレッサにナベルビンやTS-1を併用するといったような治療は今の病院では行っていないようです。
タルセバの認可を待つか、ナベルビンとジェムザールのニ剤投与に切り替えるか、今後の治療方針を定めていかないといけない時期です。

 そんな時にH医師のセカンドオピニオン予約が取れました!!出張先からの朝の電話攻撃が功を成したようです。
聞きたい事は山ほどありますがまずは整理して書類を作ってみようと思います。

 

2007年5月10日木曜日

検査続き

 今日はまるで初夏のような気候でした。空気はまだ爽やかなので真夏と違ってとても気分が良いです。スーパーで土と花を買ってプランターに植えて庭に置いてみました。ちょっと元気の無かった観葉植物も勇気を出して植え替えてみました。枯れませんように、、、、

 母の検査が続いています。
肺と肝臓のCTに続き、サイバーナイフセンターでの脳MRI、そしてPETです。
PET以外の結果は全部出ました。一番心配だった肺のCT、イレッサの耐性を示唆されていたのでびくびくしていたのですが、原発の増大はほぼ無し、細かい転移部分がまた見えて来てはいますが、ここでイレッサを中止して抗がん剤に切り替えるほどの耐性は見られない、イレッサ続行との主治医の判断でした。細かいとは言え転移部分の再発は気になります。イレッサの効きが悪くなっている事は確かなのかも知れません。

 イレッサの耐性と共に多発するという説のある脳転移、これも心配でしたが、処置済み箇所含め問題のある所見は無し、これも一安心です。あとはPETの結果を待つのみです。

 今まで何度か味わって来た検査結果発表(?)。
毎回ドキドキもので常に最悪を想定してはいますが、本当にその最悪な事態が訪れたら平常心で立ち向かえる自信は全くありません。
検査の度に期限付きの安心をもらっているような感じです。これからも現状維持が出来ますように。そして海外では既に認可されている薬がどんどんと日本でも認可されますように!切なる願いです。

2007年4月27日金曜日

イレッサについて

 副作用の間質性肺炎による多数の死亡者を出した事や延命効果が見られないとの統計が発表された事で認可取り下げを訴えている人たちが沢山います。
ご家族をイレッサの副作用で亡くされた方々や、その団体がそう訴えるのは理解出来ます。本当に辛い思いをされたのだと思います。副作用を示唆されずに服用していた時代の悲劇だという事だけでは片付けられない問題です。
そういう方々にとっては排斥すべき憎き薬だと思う気持ちは当然だと思います。

 反面、私の母のようにイレッサのお陰でQOLを得られ、精神的にも肉体的にも救われた患者も多くいるはずです。
タキソテール単剤使用と比べて延命効果が変わらない、もしくは以下であるというのはあくまでも症例を平たく馴らした統計ですね。
これほどに個体差があるガンという病気を語る上で統計というものが如何に無意味なものであるか、私のような人間でも分かります。
 
 そして上記のような方々以外で認可の取り下げを訴えている人たちはどのような意図があるのでしょうか。様々な利害関係を想像してしまうのは私だけでは無いと思います。
多発性骨髄腫などに効果がある事が分かっている、かつて沢山の副作用被害を出したサリドマイドでも同様の事があるようです。
命を失った人、命を得た人、この大きな二分の許には決して理解も譲歩もありません。

でも、新聞記事や一方に寄った意見だけを飲み込んで、正義漢ぶって認可取下げを語るようなマネをする輩は許せません。
患者自身、患者家族は、後戻りは出来ない判断を常に求められています。その重さを知っている人たちだけが語って良い事では無いでしょうか。

2007年4月23日月曜日

がっくり。。。

 せっかく時間ぴったりに電話をしたのに、セカンドオピニオン予約は今日では無いという事。先日の電話対応でははっきりと今日の朝9:00だと聞いた旨を伝えると、事務員の対応が間違っていたとの事。
 
 こちらは命がかかっている問題。一刻も早く相談に乗って欲しいと切羽詰まった人が電話をかけて来る場所なのですからこういう基礎的な間違え方は本当に勘弁して欲しいです。
このセカンドオピニオンでは相場以上の高いお金をとる訳で、それを払ってまで真剣に病気に向き合っている人間への対応は本当にしっかりして欲しい。がっくりだ。本当の予約日は5月の頭。出張先から電話するしかありません。

明日

朝一にある場所へ電話をします。
ある場所とは、、、恐らくはここをご覧になっている全ての方がご存知であろう、かの有名な外科医のH.M先生のセカンドオピニオンの予約受付です。

 5月の精密検査の結果資料を持って、なるべく早い時期にオピニオンを聞けたらと思っています。
抗がん剤の投与量のさじ加減や、徹底的に副作用をコントロールする事で有名なH.M先生の意見なら「事なかれ」主義でどこか投げやりな今の主治医も耳を傾けるはず。

 明日は予約開始時間ぴったりに電話をして何とか私の仕事前に間に合う時間帯の予約をゲットしたい所です。
この感じ、、、何かに似ています、、、そうだ!
高校時代に、大好きなバンドの来日コンサートの発表が新聞でされた朝、チケット予約の整理番号を入手する為に朝っぱらからイベンター事務所へ電話をしまくりました。それに似ています。

 今みたいにネット予約なんて出来なかった時代。
イベンター事務所に並んでチケットを買う為に遠足に遅刻をして、クラス全員が乗ったバスを停めた事もありました。

 よし。がんばるぞ。気合い入れ所、間違ってる?

 

2007年4月22日日曜日

咳、、、



 イレッサを服用して以来しばらく聞いていなかった母の咳、今回の実家滞在の間、凄く気になりました。
少しだけだけど声嗄れもあります。
 具体的に次の治療法を探していかなくてはいけない時期かも知れません。今の病院では辛い標準的な治療しか望めません。
先々の地域医療の恩恵を受ける事を考えると勇気がいる選択ですが、転院も考えています。

 そして再びセカンドオピニオンの旅に出なくては、、、、
でも母は元気です。ご飯もお菓子も良く食べています。

 写真に意味なし。

2007年4月21日土曜日

今までの流れ

 母66歳、昨年に肺腺ガンの告知を受けました。
告知当初はショックで母も私もウツ状態に落ち込んでしまいました、、、が!!そこが元来「何とかなる」主義の親子、前向きに4クールに渡るタキソテール、パラプラチン投与に耐えました。しかし容赦無く原発は増大を続け、、、しかも脳転移も発覚!!

脳転移は定位放射線処置、その後、かねてから効くのでは無いかと踏んでいたイレッサ服用を始め、案の定劇的に効果有り、今日に至るまで7ヶ月に渡る安堵の時を過ごしました。
脳に関してはサイバーナイフセンターで経過観察中。
ところがここに来てもしや、、、耐性???肺レントゲンに不穏な白い影が、、、、このブログはそんな不安が芽生えた今日からスタートです。

 母の命を救ったイレッサ、そしてこれから先にチャレンジしていくであろう抗がん剤の数々、そんな事を忘れて楽しく過ごす時、やっぱり落ち込んでしまう時、つれづれに書き記していきますのでよろしくおつき合い下さいね!!