2007年8月29日水曜日

脳の検査結果


 今日はサイバーナイフセンターの受診日でした。
前回は22個の転移腫瘍の内、比較的大きいものを12個照射してもらったので今回は残りがどうなっているか、更なる転移があったらどうしよう、、、とドキドキしながら母をMRI室へ見送りました。

 少しして先生に呼ばれて「今回は処置しなくていいね」と言われました。
前回の処置箇所の経過が良い事と、処置をしていない箇所に関しても増大が認められないとの事で、処置は据え置きとなりました。
一泊入院の予定でしたので拍子抜けしましたが良かったです。

 サイバーナイフセンターの主治医は良い先生です。
ぶっきらぼうなようですが、細やかに気を使ってくれて、こちらが過剰に心配しないような話し方をしてくれます。
この先生になら母を任せられる、と思えます。この気持ちがあるのと無いのと、病気に立ち向かう上で大きな違いがありますよね。

 さて肺の方の経過はどうなのか、近日中にCTを撮ります。
心配は尽きませんが、このようにしていつの間にか◯年も経ってたね!!なんて話せていたら良いのですが。

*珍しく写真を載せてみました。面白い顔の猫。うちの猫ではありません。
実家には5匹の猫がいましたが今では2匹になってしまいました。
 

2007年8月27日月曜日

日々

 慌ただしく過ぎて行きます。
あれもこれもと目標だけは立てるものの、なかなか予定通りに事は運びません。

 母は明後日からサイバーナイフの治療が再開します。今回は2日かけて何個の転移を潰せるのでしょう。
新しい転移が無い事を祈りつつ、例えあってもサイバーくん、潰してくれよ!!

 新しい薬が出るかも知れないし、今しばらくは大丈夫に違い無い、と少し前向きな気持ちになったり、反面肺ガン4期である事実は明白で、全く楽観出来ない現実を目にして落ち込んだり、それをここ数ヶ月繰り返しています。毎日がバタバタと過ぎてしまうのはむしろありがたい事なのか、、、告知から一年半を迎えて、ある瞬間母の病気の事を忘れられるようにすらなってきた自分もいます。
もちろん今安定しているという事が第一にありますが。

 雑多で割りの悪い仕事ばかりを抱えている私は元来の短気も手伝って良くイライラ星人になってしまいます。
今日の仕事は色々な側面から見ても詰めの甘さが気になってうまく集中出来ません。その事を友人に話した時に「ああした方がいい、こういうのはどうか」「そこまで考える必要は無い」「それはあなたが決める事では無い」などと色々アドバイスをもらいました。

 言ってもらえるのはありがたいのですが、どうにも居心地の悪さを隠せずに早々に引き上げてしまいました。


 彼女がくれたアドバイスは自分の物の見方に対する自信に満ちあふれたもので、「私」という人間の視点を一切省みない、一方的で高圧的な意見のように思えました。

 関係無い話のようですが、、、ここから繋がります。
母の病気を一年以上支えてきて、私も同じような口調で母に対して発言した事がある事に気付きました。
当然の事ながらインターネットをあれこれ駆使出来る私の方が情報には通じている訳であって、それを笠に着て母本人が望む治療よりも私が母に受けて欲しい治療をベストだと思っていました。

 母は良く「私は子育ても終って余生を過ごしている所だから、あんまりギューギューと自分を追いつめるような治療はしたくない」と言います。
 患者家族として知り合って、告知当初から私を支えてくれた友人がいつも「お母様が望むのは何なのかを考えてあげて下さい」と私に言ってくれました。
 彼女のお父様は脳転移からガン性髄膜炎になって亡くなってしまいましたが、最後までお仕事を続けたい、と望んだお父様の意志を第一に尊重し、お医者様から薦められた全脳照射を受けずに亡くなった事は後悔していない、と言います。
 まだまだ甘い私です。
 

 

2007年8月22日水曜日

PET結果

 今週月曜日のPETの結果が出ました。
肺原発の大きさは前回と殆ど変わり無し、肝臓、骨への転移の所見もありませんでした。一安心です。
でも、、、心の底からその所見を信じられない私がいます。
何故ならこの主治医、母の告知当初もの凄い事をやらかしてくれたからです。

 肺腺ガンで両肺に転移があるという事が分かった2006年の3月の時点でPET画像の頭部に黒い丸いものが写っていました。主治医は「脳に腫瘍のようなものがありますが恐らく良性だからこれは心配ありません」と言ったのです。
まだ肺がんの事を何も知らない私たち家族は「良性ならよかった」と思ってしばらく放置してしまったのです。

 色々調べるにつれ肺がんが脳転移の可能性がとても高い事を知り、改めてあのPETに写っていたものは転移性脳腫瘍なのでは無いかと心配になりました。抗がん剤3クールを終えた4ヶ月後、再度PET検査を行い、大きくなっている頭部の影を発見しました。
 その時の私の「これは脳転移では無いのですか?」という質問に対して「これが悪性の腫瘍であるかどうかを調べるのには脳を開いて細胞を取らないと何とも言えません」という返答。

 あまりの曖昧な回答にしびれを切らした私が「肺がんでこのステージだと脳転移し易いのですよね」と言うと私だけに見えるようにPET診断の専門医が書いた診断書を見せました。
そこにははっきりと「転移性脳腫瘍」とありました。

 母の前で主治医と言葉を荒げて話をしたく無いし、起きてしまった事はもう仕方が無いので診察室を出てから母と父には脳転移がある事を告げました。
 私の心にはただ「どうして告知段階で転移性脳腫瘍だという事がわからなかったのか」という事だけがぐるぐると巡りました。こんな素人でも調べ当てられるような事をどうして良性と言い切って放置したのか。

 腫瘍は3.8センチにまで肥大していたので(告知当初は2センチくらい)ガンマナイフの対象外となり、Xナイフという定位性放射線治療を受けました。ガンマナイフよりも初期からある機器で、当然誤差範囲も大きいです。
 腫瘍はその他にも2、3個あったようです。よくも放置してくれたな、と最初のPET所見をした脳外科の医師を恨みました。
呼吸器専門の主治医も肺がんの脳転移の症例は沢山見ているでしょうに、どうして、と今だに不信感が払拭出来ません。

 その後ずっと気になっていた先生の所へ両親と一緒にセカンドオピニオンを聞きに行きました。
告知当初のPET画像を見て「これを良性というのは相当のドジですね」と言われました。
イレッサを飲み始めて3日めの事です。結果的にイレッサがとても良く効いたので転院を見送りました。イレッサの処方はどこの病院でも一緒です。

 その病院はいわゆる患者を抱え過ぎている田舎の大病院です。
良く聞く話ですが、母のような治癒の可能性の無い患者にはさっさといなくなって欲しかったのでしょう。
告知の時も治療の可能性は無い、という後ろ向きな注釈付きで「無治療という手もあります」と私は後でこっそりと告げられました。

 あれから何度も病院を変えようと発案しましたが父は反対をします。
地元から離れた場所で治療を受ける危険性を主張します。終末期の在宅医療は地元の医療サービスを受けなくては不可能です。父がそこまで考えていたかどうかわかりませんが、患者家族仲間のお母様が遠い病院にわざわざ通っていた事が災いして苦しい思いをして亡くなってしまった話などを聞き、あながち父の主張も間違っていないのだと思いました。

 主治医がどういうつもりで脳転移をうやむやにしようとしたのか、未だに分かりません。このまま不信感を持って治療を続けるのは良く無い事なのですが、一つ良いのは主治医はこちらの希望を100%に近いくらい聞きます。
抗がん剤の減量、増量、種類に関しても。検査の内容もペースも言いなりです。そこをプラスに捉えて、今は完全にこちら主体の治療を行ってもらっています。

 病院選びは本当に難しいですね。


 
 

2007年8月20日月曜日

明日は山へ!

 数ヶ月前から仕事仲間と「月一自然に触れる会」を発足しました。会と言ってもたった二人ですけれど。
彼女と私の間には適度な距離間がありながら同じスピ−ドの時間が流れているようです。ちょっと早起きして樹々のパワーに癒されて来ようと思います。

 母は告知を受ける前まで今私が暮らしている都内にほど近い地域に30年以上住んでいました。父の定年と姑の死去をきっかけに自宅を処分、今の田舎暮らしを始めたのですが、告知当初はその事を随分後悔していたようです。私も同感でした。
医療の充実を求めたら関東では東京都内には敵いません。近郊にいればあの病院も、この病院もあるのに!と歯がゆく思いました。


でも。
空気が良い田舎で犬と猫と、広い庭と花達と、今までの両親の経緯を何も知らない新しいネイバーたちと築く新しい関係は今の母の命に大きな力を吹き込んでいる気がするのです。
 あのまま都内近郊にいたら確かに様々な病院の選択肢があり、短時間で高いレベルの治療が受けられたかも知れません。
でも両親が数年前に下した決断は決して間違っていない、と私は思っています。それが何だか分からないけれど人間が本来持ち合わせている命の力を信じていたいです。

 告知当初は母の病気が受け入れられずに私自身かなり苦しみました。
もっと近くにいてくれればいつでも顔を見られるのに、あとどれくらい一緒にいられるかわからないのに、とネガティブな思いに心が支配され、現状の良い部分を全く見られなくなっていました。今後自分が何かを楽しいとか嬉しいとか思ったり出来るのだろうか、とまで思ってしまいました。それほどに大きい出来事でした。


 あれから約一年半。
不安材料は尽きませんが母の病気を通して、色々な人が抱えている不安や苦しみ、自分自身これから乗り越えなくてはいけない現実が漠然とイメージ出来るようになりました。私自身の命も永遠では無いからこそ今母に出来る事、自分自身の為に出来る事を深く見つめて生きていかなくてはいけないのだと改めて思っています。

 母の病気を通して知り合った友人のお父様が数ヶ月前に亡くなりました。
残されたお母様が精神的に不安定な状態にある事を今日知りました。無理も無いと思います。自分に置き換えてもそう思います。
精神内科を受診されるとの事、お母様が少しでも楽になれる事、支えるご家族のご健康をも祈らずにはいられません。

 どんな人もそれぞれの苦しみを抱えて生きているのだと、当たり前のような事が妙に心にしみる今日このごろです。
明日はこんな話も樹々と出来るかしら。

 

 

2007年8月17日金曜日

近況

 猛暑が続きます。冷たいものを飲み過ぎないように、クーラーにあたりすぎないように気を付けてはいるものの、どうにも堪え難い暑さでついつい冷たいビールやクーラーの冷気に甘んじてしまいます。

 母が肺腺ガン4期の告知を受けてから一年と五ヶ月が経ちました。
告知当初は余命一年を宣告されていたので今母が日々の暮らしを元気な時と変わり無く出来ている事はまさに奇跡のようなありがたい事実です。でも人間とは贅沢なもので、常に現状以上のものを求めてしまいます。来年も、再来年も元気でいられるように強く願ってしまうのです。

 少し前に放映されたドラマ「はだしのゲン」を録画しておいたものを昨夜見ました。
号泣してしまい今朝の自分の腫れた顔にびっくり!愛するもの同士が理不尽な力によって引き裂かれる事はあってはならない事。そんな誰にとっても当たり前の真実が踏みにじられる戦争が今もこの世界で行われている事は本当に悲しい事です。
生きている意味、これから先自分が出来る事、、、、などなど、、、深く考えました。

 今月末にまたサイバーナイフ治療が再開します。
母の体には今どれくらいのガンが散らばっているのか、考えると恐ろしくなるのですが、今の所肝臓や骨は大丈夫のようです。
でもいずれ、、、と後ろ向きな考えが芽生えるのと戦う毎日です。
 
 タルセバが承認されたのにどこを見てもあまりピックアップされていません。何故でしょう?
主治医曰く承認されても厚生省が認可しないと実用に結びつかない、とのこと。
 新薬の実用への経緯を今ひとつ理解出来ません。ただ多くの人がタルセバの発売を待ち望んでいる事は事実です。多発性脳転移やがん性髄膜炎にも効果があると聞きます。
 
 とりとめも無い内容になってしまいました。
最後にコメントに関して。
せっかく入れて頂いたコメントがなかなか反映されずにご迷惑をかけていたのですが、先日から所定のメアドにコメントを送信してもらう設定に変えてみました。時間差が生じてしまうのですが反映されるようになったようです。今後とも懲りずにおつき合い下さいませ。

2007年8月13日月曜日

Back in Tokyo

 仕事で関西方面を5日間まわっていました。今日の9時頃帰宅しました。車での移動でしたので各箇所でお盆渋滞に巻き込まれイライラ、、、シーズン的に交通集中による渋滞は理解出来るのですが、その中で追い打ちをかけるような追突事故、ホリデイドライバー達の溢れる道路上の事ですから仕方の無い事なのでしょうか。
 通常一時間の移動が5時間かかったりと尋常では無い事態でした。

 母はナベルビンにジェムザールを併用して量剤とも減量した治療を続けています。マーカー値はCEAが20代で横ばい。現状維持出来れば良い、と思って選択した治療法ですが、なかなか難しいです。
 ジェムザールを足してから抜け毛が多くなったと母は気にしています。タキソールやタキソテールなどのタキサン系の薬は脱毛はほぼ確実だと言われていますが、ジェム、ナベルあたりは比較的このような副作用も少ないと聞いてはいます。


 今月又地元の病院でCTを撮ります。PETもやります。
転移と増大がありませんように。肝臓への転移が怖いです。

2007年8月5日日曜日

タルセバ!

 待ってました!!
ニュース

承認から発売まで少し時間がかかるようですが年内の発売は確実との事。これまでどれだけ多くの人が待ちこがれていた事か。私たち親子もそうです。個人輸入して継続する経済力のある人は一握り、というのがこれまでのタルセバの認識でした。

 イレッサが耐性となり、抗がん剤が思うような効果が出ないで原発の増大、脳転移が再発してしまった人たちの頭にはまずタルセバが浮かびます。それは分子標的剤の素晴らしい効き目を知っているから。
それは母のようなイレッサのスーパーレスポンダーにはまさに命を繋ぐ薬でした。

 原発含め転移部の80%の消滅、5ヶ所以上あった脳転移の消滅。母に於いてのイレッサの偉業です。
イレッサが効いた人にはタルセバは効く、と言われています。でもこれもわからないので過大な期待は危険ではあるのですが、変な咳をし始めて、多発脳転移が発覚し、病気が本来の勢いを取り戻してしまった母には一筋の希望の光である事には間違いありません。
一日も早い発売を待ちこがれると同時にイレッサのような副作用の悲劇が繰り返されない事を願うばかりです。

 母と二泊の旅行に行きました。
お墓参りが目的です。そのお墓には父の先祖、そして母方の祖母がいます。
そのお墓を訪ねる度に、私が今この世に生を受けている不思議、そして深い感謝の気持ちが沸き起ります。私の祖母、祖父、そしてもっと前に生を受けていた会った事の無い家族たちが生きていた時代に静かに思いを馳せてみたりもします。

 お墓石を洗ってお花を供えて姪や甥や姉たちと手を合わせました。
母を見守って下さい。私たちを見守って下さい、と。ご先祖様たちにはちょっと荷が重たかったかしら。

 私は無宗教です。
でもそれは名前のある特定の宗教を信じていないだけで、自分なりに生きていく上での指針となる思いはあります。
ご先祖様や自分にゆかりのある人たちがいつも見守って導いてくれている事を感じて感謝する事。それを私は自分の宗教としています。



 

 

2007年8月1日水曜日

日々せわしなく

 毎日何かに追い立てられるようにやらねばならぬ事が満載です。忘れてはいけない事をメモする紙が机に沢山あります。でもふと気付いてみると本当にやらないといけない事を整理すると「今で無くても」という事も出てきます。元来生真面目で責任感が強いところがあり、自分としても逆よりはいいか、と思いつつ、リラックス下手である事は間違いありません。

 母は今サイバーナイフ治療を中断中です。至って元気で良く食べて日常動作も全く以前と変わらずです。
脳転移があると厳しい状態である、多発転移なら尚更、などネガティブな情報に過敏になってしまいますが、同じ状況でも長く病気と共存されている方もいます。
 
 私がブログを書くきっかけを作ってくれたガン友MAPのミームラさん、毎日ブログを拝見していますがなかなか新しい記事がアップされないので心配です。
 ミームラさんも多発脳転移があって全脳照射の治療をされたそうですが、なかなか体調が戻らないのでしょうか。どうか一日一日少しずつでも良い方向に向かっていく事を切に祈ります。

 明後日から母を連れて旅行に行きます。途中から姉と子供たちも合流します。あと何回このような旅行が出来るのか考えてしまいます。今日はどうも前向きになれない私です。