2007年6月29日金曜日

悲しい出来事

 前にもこのブログで書いた事がある、患者家族として知り合った友人のお父様が28日、亡くなりました。
彼女のお父様は母と同じ歳、同じ肺腺ガンでした。

 お父様のご様子はずっと気になっていて、どうしただろう、と毎日思いながら、でもあまり連絡しすぎるのもはばかられて心でお父様の容態の安定と彼女の心が強くあるように祈る事しか出来ませんでした。

 今朝6:30頃携帯にメールが来てお父様が亡くなられた事を知りました。言葉少なにその事実だけを伝える文面に、逆に彼女の心が伝わりました。

 彼女から学んだ事は計り知れないです。
母の告知を受けて半ばパニック状態で辿り着いた掲示板で私の泣き言に返事をくれて、こんな治療法がある、あんなのもある、と色々と教えてくれました。今母が受けている低量の抗がん剤治療のヒントをくれたのも彼女です。
今が一番辛い時で、あと少しすれば現状を受け入れて立ち向かえるから、と言ってもくれました。

 個人的に連絡を取り合う事になり約一年、どれだけ励まし合った事か。
お互いの親の治療がうまくいき喜び合った事もあり、その逆もあります。
何よりお互いに親の愛情を沢山受けた幸せな子供であるからこそ分かり合えたのだと思います。

 今の彼女の悲しみは想像するに余りあります。
入院する数日前までお仕事の現場にいらっしゃった彼女のお父様の生き様は、遠く離れた、会った事も無い私のような人間の心も大きく揺さぶります。

 人はいつか死ぬ、これは誰にも等分に訪れる事実です。
いつかは私も母を見送り、父を見送り、もしかしたら夫も見送り、自分もこの世から去る訳です。それがいつかなんて誰にもわからない。いつまで生きられるか、では無くどのように生きていくのか、またどのように生きたかを見つめて行けば少しは楽になるのでしょうか。
 
 友人のお父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。


 

 

 

 

2007年6月27日水曜日

通院日でした。

 今日は久しぶりに母の通院に同行出来ました。
イレッサを休薬して下痢の副作用から解き放たれた母は食べる楽しみに浸っているようで顔色も良く、少し太ったと喜んでいました。

 ナベルビン単剤投与を二回後初めてのレントゲン画像は少し転移部分が薄くなってきているとの事。
素人には今ひとつ分かり辛いレントゲン画像、やはりCTの方が良いですね。

 腫瘍マーカーはCEAが微妙に上がっています。不安になりますが、画像診断が良かったという事で良しとしましょう。

 主治医は私が提示している標準的では無い治療に判断に困っている様子が伺われます。
でも標準的な治療で起こりうる副作用は想像が付きますし、現状維持しか求めていない母にはやはり減量した抗がん剤の投与が合っていると思います。
 気になるのは非積極的な主治医の態度です。もの凄い患者数を診ていらっしゃるのでしょうから無理も無い事ですが、全てにおいて「では今回はこの治療で頑張りましょう!」というような向かっていく姿勢が感じられません。
求め過ぎなのでしょうか。こちらの意見を受け入れてもらえるだけで感謝しなくてはいけないのかも知れませんね。

2007年6月26日火曜日

治療経過

 母は6月の半ばからナベルビンの単剤投与を開始しました。主治医の意向で2週間連続投与で一週間ブランクを空けるそうです。
少量からの投与という事もあり白血球の減少は殆ど無いようです。副作用も無いようですが、その分作用も無ければ意味もありません。
 それを確かめるには腫瘍マーカーの頻回の検査に併せて画像診断が必要だという事はH先生のセカンドオピニオンで充分理解しました。

 ところがそのように追跡出来る検査は今の保険診療の枠内では無理で、偶然近くのクリニックで腫瘍マーカーの自由診療をしてもらえるとの事で、一週間に一回の3種類の腫瘍マーカー検査を行っています。一回5000円弱です。
 主治医の許では3ヶ月に一回しか撮ってもらえないCTもそこのクリニックの先生を通して月一回近所の大型の病院で撮ってもらえるようになりました。

 今までの経過を辿ると、母に於いて指針となり得る腫瘍マーカーはCEAのようです。一応SLX、CA19-9も調べていますが両者ともに標準値以内です。
 イレッサ開始前は70以上あったCEAがイレッサ開始とともに14台まで下がりました。今は19台を行ったりきたり。ナベルビンを始めてから19台から18台に下がりました。誤差範囲内なので効果があるかどうかは分かりません。やはり画像診断が必要です。
 CEAの標準値が5ng/mlだと考えると18台でも充分異常な数値であり、1、2くらいの変化に過敏になってしまます。


 色々な方法がありますね。使えるものは全部使って、というと響きが悪いですが、命がかかっている問題ですから、ご協力頂ける所には甘んじています。

2007年6月17日日曜日

懐かしい空気

 入梅と思いきや何とも良いお天気が続いていますね。まるで梅雨明け後の夏の到来のようですが朝と夜は涼しげな空気になってとても気持ちがいいです。子供の頃、父の転勤で数年間イギリスに暮らした事があります。
日本の初夏はイギリスの真夏とちょっと似ていて、ここ数日懐かしい在英時代をよく思い出します。
 
 あの頃の母は40代前半で、今の私とそんなに変わらない年齢でした。運転免許を取り(当時は取り直しでした)、語学学校に通い、夏休みには姉と私を連れてヨーロッパ巡りの旅行にも連れて行ってくれたパワフルな母。でもその頃から良く咳が出ていたと言います。
語学学校の先生に「咳の音がするとあなたが来たって分かるわ」と言われていたそうな。

 病気が分かった時に「どれくらい前からガンがあったのか」先生に聞いてみた所、「3年から20年」というメチャクチャ的の大きい返答でした。今となっては究明しても仕方の無い事ですが、20年って、、、、、。

 ナベルビンの投与から4日、少量投与から始めた事もあり体調はすこぶる快調のようです。
イレッサを辞めて下痢から解放されて「とにかく食べてやる!!」モードに突入したみたいです。体重が少し戻ってくれると良いのですが。

 友人のお父様は今日から会話が困難になってしまったそうです。
彼女の気持ちを考えると励ますのも違うし、分かるよ、と言うのも違うし。ただただ祈るばかりです。
 
 
 

2007年6月15日金曜日

梅雨入りですね。

 今日はお台場で仕事。
ほぼ朝から晩まで台場にいましたが雨に降り込められて仕事場から殆ど出ていません。帰りの車中から濡れそぼった観覧車を見て「ああ、梅雨入りだなぁ」と実感しました。

 私は雨は嫌いでは無いですが、母は気が滅入るようです。
母は田舎に越してから庭いじりを趣味にしているので庭で過ごせない季節はつまらないのでしょう。
確かにお天気がいいとそれだけで何か良い事があるような気がしますものね。

 昨年の梅雨時期はタキソとパラのニ剤投与で白血球値が戻らず、なかなか投与が予定通りにいかず、しかも脳転移まで発覚する、という最悪の時期でした。母は心身ともに落ち込んでしまい、痩せていく姿を見るのが辛かったです。
 今年の梅雨は何とか元気に乗り切ってもらいたいです。
 
 昨日からナベルビンの単剤投与が始まりました。
20ミリという極少量からのスタートです。近所の病院でCTと腫瘍マーカーの自費診療が出来るようになりましたのでしっかりと経過観察をして薬の効果を調べていきたいと思います。

 友人のお父さまはガン性髄膜炎を起こしている事がわかりました。
言葉もありません。ガンである以上、常に転移や合併症と隣り合わせである事を痛感します。
彼女の心とお父様の苦痛が少しでも楽になるように祈る以外にありません。




 

2007年6月12日火曜日

コメントに関して

 今まで「コメントが入らないよ〜」というお知らせを個人的に連絡を取れる方から頂いたりしていました。
やっと原因が、、、って遅いんですけど。

 先日コメントを頂いた方からアドバイスを頂いて発覚したのですが、コメントの設定が「会員だけ」になっていました。
「全員」という方に設定し直したので多分今後は大丈夫だと思うのですが、、、まだ不安は残ります。

 明日から母のナベルビン投与が始まります。ナベルビンは抗がん剤の中でも副作用が少なく扱い易い薬だそうな。
最小限の副作用最大限の効果を期待しています。勝手すぎる願いかしら。
そして来年には又イレッサを再開出来るといいんですけど、、、、投薬、休薬を繰り返して5〜6年も元気でいる方もいると聞きました。勇気が出ますね。

 件の友人のお父様、依然症状は改善されず、彼女自身も参っているようです。とても心配です。
いずれは私も歩む道かも知れません。とても他人事では無いだけ彼女の苦しい気持ちが私にも痛いくらいに伝わります。

  

2007年6月11日月曜日

思う事。

母の病気がわかってから約一年と三ヶ月です。

最初告知された時の話です。
全ての検査が終わり、「今か今か」と主治医との面談を父と母と三人で母の病室で待っていました。
待たされる事3時間、待つ目的が目的だけに限界です。すると看護婦さんがあらわれて「先日お借りした保険証をお返しするので娘さん、こちらで確認のはんこを頂いていいですか?」と言いに来た。「ハイ」と病室を出て廊下へ。すると看護婦さんは私に異常接近してきて、仕舞いには肩まで抱いて「お父様だけ呼んで頂いてもいいですか?」と言われました。
その時点で事態の80%は飲み込めた自分がいました。
「この状態で父を呼ぶのは不可能です。母に気付かれずに事を運ぶ自信がありません。私ではダメですか?」と言って主治医の下に付いている、私より幾分若い医師から母の腺ガンの告知を受けました。病室で両親がまんじりともせずに待っているので余計な事は一切省いて重要な部分のみ簡潔明快に説明して欲しい、と言いました。進行度は4期、両肺に転移、いわゆる末期である事、抗がん剤はあまり効かない、試すのはもちろん大丈夫なので家族で話して下さい、と言われました。「あとどれくらい生きられますか?」という私の質問にその若い医師は「一年、、、でしょうか」と言いました。

 それから両親の待つ病室へ。
寸前に話しがあった事はもちろん内緒です。主治医には余命と病期以外の事はだいたい話してくれるよう頼んでおいたので私に話すよりも少しソフトに両親に話してくれました。
真剣な顔でメモを取る母の小さい背中が今も忘れられません。

 定期検診が良く無くて、肺がんかも知れない、と母から聞いてからの数週間、私を支配していた嫌な予感が的中した瞬間でした。
たった一年少しまえの出来事。

 余命一年と言われた母は今も元気です。イレッサのお陰は勿論の事ですが、今年の桜も見られて、先日は二人で信州旅行にも行きました。この数ヶ月はまさに神様からのプレゼントのようです。
何が起きるかわからない、ガンは気紛れです。どうか母の体とうまく共存してくれる事を願ってやみません。

 来週からナベルビンが始まります。効きますように。
そして夏にはまた家族旅行が出来ますように!

 

2007年6月10日日曜日

祈り。

 母が肺がんの告知を受けてからずっと支え合って来た友人がいます。彼女のお父様は母と同じ歳で、母よりも少し早く肺がんが見つかった、言ってみれば患者家族先輩です。
友人と言っても彼女とはとある掲示板で知り合い、月数回のメールのやりとりで今まで支え合ってきました。会った事はありません。
こういうのってメル友っていうのが正しいのかも知れないけれど、お互いの状況が状況だけに様々な泣き言や悩みをぶちまけ合ってきた仲で、そんな表現も少し違うように感じます。
私はネットどっぷりの世代からは少し歳を取っているので通常ではあり得ない関係なのですが、母の病気に関しては彼女を始め、沢山の患者さんや家族の方とコミュニケーションを取っています。インターネットの無かった頃は本当に孤独な戦いだったのでしょうね。


 その彼女のお父様の体調が思わしく無い、という内容のメールが昨夜来ました。
肺原発は抗がん剤で素晴らしく抑えられているのに脳転移が続いていて、何度もガンマナイフ処置はされているようなのですが、今の症状は腰の痛みと吐き気が続いていて食事が摂れない状態が続いているそうなのです。
 少し前のPET-CTでは骨転移の所見は無かったのに腰の痛みが依然ヒドイらしいのです。吐き気と痛みなんて一番堪え難い症状が彼女のお父様を苦しめていると思うと辛いです。近くで支えている彼女のお母様や彼女自身も参ってしまわないか心配です。

 どなたかこのような症状に心当たりのある方はいませんか?対処策、その他何でも思い当たる事がある方がいたら宜しくお願い致します。

 近くだったらすぐに会って、何も出来ないけど話くらい聞けるのに。
彼女のお父様の症状が一日も早く改善されますように、祈るばかりです。