2008年9月27日土曜日

季節

 すっかり秋の空気になりました。朝晩は肌寒いくらいですね。
母が緩和ケア病棟に移った6月末は、これから訪れる盛夏を予感させる太陽がジリジリと照りつける頃でした。

 昨年の秋は母と岐阜の紅葉を見にドライブ旅行へ行きました。山肌一面の圧倒的な紅葉を見ながら一緒に蕎麦を食べたり温泉に入ったり郡上八幡で人力車に乗ったり。
そんな事を思い出しているとたまらなく悲しくなりますが、逆に行っておいて良かったと思う気持ちもあります。
思い出でどれだけ救われるかは分かりませんが、少なくとも無いよりは良いです。実際は旅行の間も「これが最後になりませんように」と祈るような思いもありました。
 闘病の間、母とは何度も旅行に行きましたがいつもそんな事を考え、楽しい反面の究極の悲しさのようなものを感じていました。


 母は67才で旅立ちました。親の死を迎えるにあたっていくつまで生きられたから納得して見送れた、というものでも無いとは思いますが、母の場合は平均寿命を考えるとあまりに早い死だったと思わざるを得ません。
 孫の成長を楽しみにしたり、夫婦水入らずで旅行に行ったり、習い事や趣味に精を出したり、どうして母には老後のそんな時間が許されなかったのか、その悔しさは今だに払拭出来ません。

 最近は亡くなる前の数週間の事をまざまざと思い出してしまい、苦しくなる事が多いです。夢にまで闘病中の母が出て来ます。
良く夢枕に故人が立つ、といいますが、私の夢はそういうものでは無く、自分の記憶がよみがえっているだけのようです。

 家族としては正直どんな状態でもいいから生きていて欲しかったと思っていますが、母本人はそれを望んでいませんでした。
「生きているというのは希望があって、美味しいものが普通に食べられて、副作用だの治療だのに悩まずに元気でいられる事」と亡くなる数ヶ月前の母は良く言っていました。その頃はウツの症状もあり精神科にもかかっていました。
 「こんな状態だったら早く死にたい」と言われる度にどうしようも出来ない自分自身に苦しみました。

 母は今安らかな安堵の中にいるのでしょうか。

 
 
 

2008年9月16日火曜日

月命日

 月命日は毎月訪れます。どれくらい重んじて良いものやら、今だに分かりません。
9月の月命日は一日仕事で、しかも何だか大変な出来事もあり、バタバタとしている内に思い出す事すら出来ない状態でした。
翌日から仕事絡みで早朝から地方へ行きました。
その車中で「あ」と思った訳です。
さすがに命日は忘れないとは思いますが、月命日でも忘れてしまう事は薄情だと捉える方もいると思います。
でも自分としてはほんの少しずつでもそれまでの日常に帰り、時間に雑事に追われているこの世を生きている姿を故人に見てもらえる方が供養になるのかな、なんて思ったりもします。

 それでも時折訪れる深い後悔や、単純に母に会いたくなる思いには抗えず、本当に悲しくなります。ある意味感情のバランスは完全に崩れているようです。一番辛いのは母が最後病院でどんどん日に日に衰弱していく様を不意に映像としてまざまざと思い出してしまう時です。
 亡くなる3、4日前のリハビリで「あと一ヶ月くらいでちゃんと歩けるようになりますか?」と理学療法士に訊ねていた時の母の声、表情、脳の治療が効を奏して食欲が戻った最後の数週間、「明日は何を食べようかな」といたずらっぽい顔で考える母の表情、それら全てが映像として現れて、たまらない気持ちになり叫び出したくなる事もあります。
 どこかおかしいのかな、と思う時もありますが、誰もがその様にして様々な形で支えを失い、自分のバランスを失って自分自身がオカシイのでは無いかと、思ったり、大丈夫だと確信したりを繰り返す。気付いてみればそれが普通の大人の人生なのかも知れません。


 母が亡くなってから初めて山に行きました。
関東近郊の低山でしたが頂上へのラストスパートはなかなかどうして、休みや休み行っても季節外れの大汗、息切れ、頂上に着いた瞬間、達成感と疲労で座り込んでしまいました。

 頂上には私たちととんぼ以外誰もおらず、少々ガスってはいましたが見晴らしも良く、気持ちの良い風が吹いて加熱した体全体を涼しくしてくれました。もう秋なんだな、と肌身で感じました。