2008年3月29日土曜日

桜の季節

 桜が満開になりましたね。うちの近所にも数カ所お花見スポットがあります。
この季節の週末になると花見の人たちでいっぱいになります。ゴザを敷き酒盛り、カラオケ、大騒ぎ....はっきり言って興ざめです。
だいたい提灯なんていらないし!!せっかくの桜が台無しです。
ひねくれ者と言われても仕方ありませんが、静かに桜を見たい私はもっぱら夜桜見物です。これも場所を選ばないともっとヒドイ事になっている場合もありますが...目黒川とか...。

 桜の季節になると思い出すのは母の告知直後の頃の事です。
あまりのショックで私自身一時的にうつに近い状態になってしまいました。見るもの全てが味気なく灰色に写っていたあの頃、気持ちとは裏腹に木々は芽吹き桜は満開。
 春の樹々の暖かい匂いの中、そのもの凄い生命力に励まされながらも、母はあと何回この桜を見られるのだろう、と複雑な思いにかられていました。きっとこれから先もずっと、この季節がめぐり桜を見る度にあの複雑な気持ちを思い出すのでしょうね。

 さて母の近況です。
 ここにきて二年間の治療の疲れが出たのか、精神的な落ち込みが激しく「こんな辛い治療をして生きていたって意味が無い。いっそ無治療でいてすぐに死んでしまいたい。」とまで言い出しています。
 イレッサ以降これという薬に巡り会わず、現状維持以上の効果を実感出来た薬の無い中、副作用ばかりがクローズアップされる治療を続けてきました。それでも今こうして、疲れやすくなったとは言え日常生活も出来て、軽い旅行も行ける状態にある事は薬の効果があったのだと思っていますが、母にしてみたら転移が進み食欲が無く痩せていく事は恐怖以外の何者でも無いのだと思います。
 
 元気な人間から無防備な励ましの言葉はかけられません。「前向き」になんてなれるはずも無く、根拠の無い「大丈夫」も全く逆効果です。本当に無力です。
 思い返してみれば脳転移が見つかった時、イレッサが耐性になった時、肝転移が見つかった時、同じくして母は激しく落ち込んでいました。
 その都度何かしらの希望のある治療の糸口を見つけて立ち直ってきました。今回もその糸口が見つかれば良いのです。

 そんな中県内の呼吸器科の専門病院を訪ねました。転院を視野に入れてのセカンドオピニオンを聞く為です。
 母の今の病期、精神状態に必要なのは「良い病院」の肩書きよりも「良い主治医」が必要だと判断し、今回のセカンドオピニオンに関しては●具体的な治療法をいいくつか挙げてもらえるかどうか●治療に関してこちらの要望を聞いてくれそうな医師か●標準治療以外の治療に理解はあるか
 などが自分のポイントでした。

 結果まずまずだったと思います。
物腰は穏やかなものの、一貫して自分の意志をぼかし、こちら側に決断させてやり過ごそうという体勢の今の主治医よりは希望を与えてくれそうな印象の医師でした。
現状の治療(イリノテカン)をしばらく続け、効果が無くなってきた時期にタルセバに切り替える予定ですので、その時に転院するか否かを決めよう、と両親と話しました。
ちなみにその病院ではタルセバはとっくに処方されているとの事、それも好印象でした。

 血液検査から支払いに至るまで全てがシステマティックに素早く進む今の病院と訪ねた病院とでは施設規模でいうと雲泥の差があり、母はそれが気になるようです。
そんな事より大切な事があるのでは無いか、とこちら側からは思いますが、毎週通う身になればストレスを軽減出来る大事な点なのかも知れません。
 
 メリット、デメリット熟考して判断しなくてはいけない大事な事です。
焦らずに決めたいと思います。あとは母の精神状態が少しでも改善される事を祈るのみです。



 

2008年3月16日日曜日

近況です。

 いつの間にかすっかり春の陽気になりました。仕事が立て込んでいた先週末から一息つく間も無く今週は3日間関西にいました。
どういう訳か関東ではさほどでも無い花粉症の症状が関西で全開状態となり、片鼻は完全ブロック状態、目と喉がかゆく、まさに取り出して洗いたい気分でした。マスクと薬で対処しましたが、なかなか厳しいものがありました。

 このブログにも患者さんご本人はもとより患者家族の方々にも訪れて頂きコメントも頂けるようになりました。(コメントはメール通知されてからのアップですので表示まで多少時間差があるのでいつもご迷惑をかけます。)
決して明るい内容のブログでは無いのですが、母の病状を伝える事により新しい情報を頂けたり、少しでも何かの参考にして頂いたり、又私も一人では無いのだ、と思える心強さを頂けてありがたい限りです。先月旅立たれたミームラさんに改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

 母はイリノテカンの6回目の投与を終えました。標準量での投与ですので数日間はむかつきがあり食欲不振が続くようです。
CEAは数値が高いもののしばらく横ばいです。母の通う病院でも4月までにはタルセバの処方が可能になるようですのでそれまでの繋ぎの治療としては適しているもの、と信じて投与を続けていますが、肝転移も小さいものですが多発的に転移しているので原発共々なんとか増大を食い止めるられる程度の効き方はしていて欲しいものです。

 それにしてもタルセバ。
まだまだ未知の薬ですよね。国内でのデータが少なく、今分かっている以外の副作用も懸念される所ですので処方されるようになっても待ってましたとばかりに飛びつく訳にもいきません。でも今の母の状態改善に一番適している薬は現状タルセバしかありません。イレッサ著効群にタルセバは高確率で効くとは言われていますが、これも必ず、という話ではありません。

 効かなかったらどうするか、と考えるとまた落ち込んでしまいますので、あまり過大な期待をせずに次の手を考えつつタルセバの処方を待ちたいと思います。
 
 とても信頼のおけるサイバーナイフセンターの主治医は「もしも脳転移があったら処置するだけ。そう、淡々と、今まで通りね。」と言います。その言い方がどこと無く可笑しくて先生なりにこちらを和ませて安心させようとして下さっている感じが伝わります。

 淡々と...という心境にはなかなかなれませんが、冷静に治療と向き合う状況を作れるのは主治医と本人の関係はもとより、患者家族の心のありようが大切だと思いました。決して諦めずに病気と向き合う強さを患者本人に求めるのは酷な事だと思います。近くにいる家族が、患者を支えるにあたって過剰に感情的にならず今後を考えていける強さを身につけなくてはいけないのだと思いました。
 私のような弱い人間にはなかなかの修行です.....。

2008年3月3日月曜日

セカンドオピニオン

 今村先生のセカンドオピニオンに行ってきました。勉強会で学んだ事を反芻し、更に詳しく聞きたい点を母と話してまとめて聞く事が出来ました。今日は良い話が出来たと思います。

 近々のCT画像を持参したのですが、現病院では2〜3個と言われていた肝転移がもっと多発している事が分かりました。原発の大きさは3〜4センチ、イレッサ著効時で1センチ台に縮小した事を思えばやはり進行している事実は否めません。
 しかもその原発は背骨に隣接した場所にあり、非常に骨転移の危険を孕んでいる事もわかりました。

 そう書くととても悲観的なのですが、今村先生の考え方は、症状の無い肝転移や肺内転移に関して過剰に神経質になる事は無意味である、病気全体を見る事が必要で、転移箇所や数だけに一喜一憂するのは「木を見て森を見ず」状態であるとの事。言わんとしている事がとても良くわかりました。

 タルセバが使えるようになるまでにまずはQOLを保ちつつ、現状維持出来る治療を優先的に行うべきで、それに関しての先生の治療のビジョンを充分に聞いてこられたのでとても有意義でした。

 いずれにしても母の病気の現状に関しては初めて知る事が多く、現主治医の説明不足、治療のビジョンの無さを思い知るばかりでした。
 今村先生曰く、それは主治医というよりも病院自体の考え方、モットーのようなものであるとの事。つまりは末期ガンのような予後が明るく無い患者に対しては事実を全て伝えるというよりはぼかす部分はぼかして不安感を与えずに柔らかくやり過ごす治療とでも言えば良いでしょうか。
 それも考え方次第では悪くは無いと思います。でもその流れに乗っていたら母は今この世にはいなかったでしょう。具体的に転院を考える準備をしようと思いました。

 未認可薬の使用するタイミングや金額に関しても具体的に話せました。
母は自らの病気の現状を改めて知り、新たな不安感に襲われていると思います。でもまだまだ希望はあります。それが分かりました。

 病人本人の抱える不安感、孤独感はごく近くで支えてる家族ですら分かり得ないものだと思います。同じように、生きていたい、生きていて欲しい、と心から願っていてもやはり本人には成り代われない、肩代わりも出来ない。
 私が母に生きていて欲しいと思うがあまり、色々調べて話を聞きに行き、主治医と治療に関しての交渉をして、という一連の行為が果たして母のとってどうなのか、時にはそれが息苦しくなる事もあるのでは無いか、と思ったりもします。

 正直聞き飽きたくらいの励ましの言葉「前向きに、あきらめないで」。
そんな事は分かっていて、既に毎日精一杯立ち向かっています。患者家族でさえそんな気持ちですから、患者本人は毎日普通に生きていく事だけで精一杯なのかも知れません。そんな人に「頑張って」も「前向きに」もありません。
 どうしても頑張れない時、落ち込んでしまう時に安心して落ちていける場所が患者家族のあり方なのでは無いかと、色々な事があり、そう思うようになりました。



 ガン友MAPのミームラさんが亡くなりました。
このブログをMAPに加えて頂く際にとても親切に対応して下さり、お母様と私は同じ病気ですね、一緒に頑張りましょう、と言って下さいました。
 ミームラさん、本当に悲しいです。悔しいです。でももう戦わなくていいのですね。ゆっくり休んで下さい。ミームラさんの存在に助けられた多くの患者さんや家族がいます。それがミームラさんの生きた証として皆の心の中に永遠に残ります。
 本当にありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。