2008年6月24日火曜日

小旅行

 と言っても行ったのは私です。
母の長年の友人でご自身もご病気があり、車いす生活をされている方がいます。その方と娘さんたちが母の病院をはるばる訪ねて下さいました。母の告知以来、同じく病気を抱える立場から、母を支え、励ましてくれた方です。
せっかく行くのなら一泊で、という事になり、私も病院近くの同じ宿に泊まりました。海辺で、温泉もあり素晴らしい場所でした。私にとっては思いもがけない小旅行になりました。

 母とその方との再会はとても意味のあるものだったと思います。長年病気と戦っている彼女は母の体調や気持ちも分かり、今の状態でも出来る事、目標などの話をして下さいました。
 そんな事もあり、ご一家を病院玄関まで見送る為に母は久しぶりに車イスに乗り、外気に当たりました。
天気も良く母も気分が良かったようです。ご一家と再会を約束、そして近い目標としては私たちが泊まった宿に一泊外泊をする事。
 
 今の母は食欲も復活して来て、毎日「明日はあれを食べたい、これを食べたい」とリクエストします。
思考能力は落ちて来ているし、足腰はもう萎えてしまっていますが、食べられるのなら大丈夫、このレベルでも良いから安定して欲しいと思っています。

2008年6月22日日曜日

久しぶりに

 我が家へ戻りました。やっぱり落ち着きます。リラックス出来ます。実家とは言え、やはりもう自分の家では無い事を痛感します。
主人は仕事で留守にしています。冷蔵庫を覗くと中は綺麗さっぱり何もありません。野菜庫の中に少しだけ残っていたごぼうと人参と真空パックの大豆で友人が作ってくれたオーガニック野菜スープブロスを加えてカレーを作りました。明日の朝、仕事に行く前に玄米で食べます。

ここ数日、病院通いの道中に食べるコンビニのパンやおにぎり、夜は母のベッドの横でまたコンビニ弁当です。東京の病院にいた頃は手料理の弁当を作る余裕がありましたが今はありません。この空っぽの冷蔵庫からかろうじて体に良さそうなカレーを作ったのは自分に滋養を与えるためです。

 さて母の様子です。
昨日今日と殆ど食べ物を口に出来ていません。今日はまた吐き気があるようで、食べていないので唾液や胃液を吐いていました。
母の好きなメロンなどの果物も用意して行ったのですが、全く口に出来ません。
 うつろな目で空を見つめるか、眠っているか、時間を訪ねる以外は殆ど「YES NO」の首振りで会話をしています。

 入院当初、退院ばかりを勧めた若い主治医、さすがに最近は危険な状態ですので転院を言わなくなりました。
それどころか、父や私の真剣勝負の向き合いに何を感じてくれたのか、とても良くやってくれています。

 今の意識の低さの原因は本来の病気そのものが本当の末期に来ている事に起因しているのでは無いか、という事でした。内科的には輸血を始め、様々なフォローをしてくれているようですが、改善されません。 
 一説には「寝たきりになったショック」でうつろになっているという話もありました。だとしたらあまりに可哀想です。

 昨日は遠路はるばる仕事仲間が病院を訪れてくれました。彼女始め、主人、友人たち、様々な人たちに支えられて一日、一日を何とか乗り切っている自分がいます。一人で生きている訳では無いのだと感じます。
母は身を持ってそんな事も教えてくれているように感じています。

 毎日の変化が激しく、今後どうなっていくか、誰にも分かりません。
ただ私に出来る事は、何より自分自身が元気でいる事、そして一分一秒を大切に母と過ごす事でしょう。

 
 

2008年6月18日水曜日

近況報告2

 怒濤のような日々に全く更新出来ずにいました。
母は脳の治療を終えて、元々外来で治療を受けていた病院に転院しました。

 入院は出来たものの、そこでの若い病棟主治医にやはり退院を促され、どうして?いったいどうなっているんだ!!という怒りの中、母が深夜ポータブルトイレに自力で立とうとして転倒、頭を打って再び吐き気、加えて痴呆的症状が加わり、振り出し以下に戻ってしまうという事件がありました。

 せっかく抜けてきつつあった吐き気が戻り、記憶障害もひどく、転んだ衝撃で治療中の脳に何かが起きたのか、とても不安でした。東京の脳の主治医は「水頭症」の危険があると言い、父と二人でどこか逃げ腰の主治医を捕まえて脳のMRIを撮ってもらうよう交渉しました。
 そんな中急激に母は正気に戻り、吐き気は治まり、また食欲も戻ってきました。それ自体は良かったのですが、色々な事が起きていて、原因究明や自分のコントロールで必死です。

 がんに関してはしばらく無治療ゆえ、腫瘍自体の勢いが増して来たようで、血液の濃度が濃くなっているとの事、脳梗塞などの危険を避ける為に血液をさらさらにさせるワーファリンを東京の入院中に処方されました。すると今度はその薬が効き過ぎて肺原発からの出血が続き、呼吸が苦しくなり、貧血になりました。昨日は半日胸からの血を抜きました。2リットルくらいの血が抜けました。まだあるようですが、今は出血が止まっていると仮定して吸収されるのを待つのが良策だとの事。随時レントゲンで確認してくれているようです。

 そんな訳で父と私で真剣に主治医と向き合う中、主治医の態度も変わって来て、深夜でも変わった事があると電話をくれ、なるべく母が苦しまないように状態をキープしてくれようとする意志が見えてきました。当然もう転院の事は言いません。

 母は意識レベルが下がって来たというのでしょうか、受け答えや会話が噛み合ない事が多くなりました。昨日くらいから眠る時間がとても多くなり、色々な事がどうでも良くなって来たというか、拒否以外の事は全てなされるがままです。
 もう立ち上がったり歩いたりは無理だと思います。急坂を転げ落ちるように寝たきりになってしまいました。

 でも声も出辛いようですが会話は出来ます。
1分1秒でも母と一緒に過ごす時間を増やして、今この時を大切にしていきたいと思っています。
毎日必死ですが絶望はしていません。いつかは来ると思っていた時が来たまでです。でもまだ何が起きるか分かりませんね。もう一度旅行に連れて行ってあげたい、という気持ちをも続けていたいと思っています。



 

2008年6月9日月曜日

近況報告

 ここ数日は仕事に忙殺されこのブログもアップ出来ませんでした。
4日ほど東京を離れていましたので今日帰京したその足で母の入院先へ行きました。

 まず良い話をします。
吐き気は随分改善されて来たようです。食欲も徐々に戻りつつあり、本来大好きだった甘いものなども口にするようになりました。
三回の食事も毎回おかずは全部食べられるようになったようです。私が行ける時には必ず果物や生野菜、漬け物など母の好物を持参して行きますが、最近はそれも随分と食べてくれるようになりました。
 脳のMRI画像的にもサイバーナイフの標的であった小脳虫部腫瘍は縮小傾向にあるようです。

 そして悪い話....。
先日血液検査を行ったのですが、何とCEAが180になってしまいました...!告知直後は74だった事を記憶しています。今年2月の時点では50台と40台後半を行き来していました。そう考えると180なんてべらぼうな数値です。
母が腫瘍マーカーの推移と病変がイコールする傾向でしたので,先日行った画像診断の結果を聞くのが正直怖いです。
でも焦っても何も良い事はありません。今の全身状態では抗がん剤は無理、まずは体力の復活、という目標に於いては前進しています。
そう思う事で前を向く努力をしています。

 それからもう一つ、今の病院からの転院先が決まりました。
サイバーナイフ治療が終了した今や、早く病院を出て欲しいという事を病棟主治医から言われていましたので、今後は自宅に戻り在宅介護に切り替える、もしくは転院先を探す、という選択肢の中、後者を決断、もともと肺の治療を行っていた病院に戻る事になりました。
 その病院の主治医には私は好印象を持っていなかったので、今回入院を受け入れてくれた事が正直意外でしたが、診療科の多さや、今までの治療経緯の把握度を考えると正しい決断だったのかと思わざるを得ません。

 父は母に家に帰って来て欲しかったようですが、老老介護で共倒れになる可能性もあります。そもそも私や父以上に母本人がそれを懸念していて、入院を希望していました。
 私は仕事を整理してしばらく実家に生活拠点を移し、母を介護する覚悟もある旨をやんわりと伝えましたが、母は私の主人に気を使い、それはお願いしたくない、と言いました。

 自分に何が出来るのか、正直何でもしてあげたい気持ちがありますが、今後は母が真に望む事を引き出し、受け入れていく事が第一だと思っています。母があとどれくらい生きられるのか、そんな事は誰にも分かりません。ただ今母がこの世に存在していて、会話が出来る、一緒に食事が出来る、同じ時間を共有出来る、そんな当たり前の事が本当にありがたく、その1分1秒がとても貴重なものに感じる今日この頃です。

2008年6月3日火曜日

その後

 母の体調は相変わらずです。1日に何度か突き上げてくるような吐き気に襲われる事と、めまいがあります。考えたく無いのですが肺がんの方が進んでいるのか、変な咳を良くします。血痰は無いようですが、痰も良く出ます。

 今週中にもう一度脳のMRIの写真を撮り、問題箇所が処置されているかどうかのチェック、木曜日には肺と肝臓のCT、血液検査と腫瘍マーカーの検査をします。こちらの方は恐ろしいです。無治療後、どのような画像や数値になってしまっているか....
 
 一つ改善されているのは食欲です。無いのは相変わらずなのですが、「美味しい」という言葉が久しぶりに聞けるようになりました。
汁ものすらも戻してしまっていた先月の今頃を思うと随分の回復です。病院ではハーフ食と言って半分の量の食事が出るのですが、昨日のお昼は完食していました。さらに私の持参した漬け物やリンゴも食べていました。
今日も漬け物、酢の物、フルーツなどを持参して午後から病院へ行きます。

 昨日病棟担当医師から、今週いっぱいは自分が何とかするけれどなるべく早く退院して欲しい、というような事を言われました。
こんな体調で、しかもサイバー処置後の画像診断もしていない内に退院の話?!いったいどういう事なのでしょう。
 
 日本の医療制度、崩壊しています。本当に医療が必要な病人が安心して病院にいられない。
小泉の改革のせいだと父は言います。病院も、医師もいかんともしがたい所でしょう。
話が逸れるようですが、ガソリンも異常な値段です。まさに日本の政治は崩壊どころか腐敗し切っています。

 目下退院した後をどうするかが一番重要な問題です。
体調が戻ればなるべく早くタルセバの治療をしたい。ただそれをどこで行うか。もともとの主治医には父が連絡を取っていつでも戻れる状態にはなっています。その病院までは実家から車で1時間半、しかもそこはタルセバの治療は通院が基本です。入院治療は出来ません。
この体調では現実的な話ではありません。

私としては今の病院くらい都心にいてくれれば安心ですが、治療後の療養目的の入院はどこも出来ません。
せっかく吐き気の原因が究明出来て治療もしているのに全ての治療が中途半端な状態になってしまうのが一番避けたいことです。
んんん。。。。前途多難。脳みそフル回転です。
今考えられる事は今日、医療相談室に行く事です。