2010年1月12日火曜日

2010年になりました。

 年が明けて最初の記事です。前回が昨年12月のアップですので、私にしては上出来かも知れません。
コメントを頂いた皆様、本当にありがとうございます。みなさんの言葉に、思いにどれだけ救われている事か、うまくお伝え出来ませんが、本当にそう感じています。遅くなりましたがレスを書かせて頂きました。

 喪が明けて今年は一年振りに「おめでとう」と言える新年を迎えました。
お正月は元旦から父の独居の実家に行き、姉一家と賑やかに過ごしました。
母の闘病中は母の看病に対する温度差に苛立ち、姉とは一時関係が悪くなりましたが、今になって思えば、二人の子供を抱え、姉は姉なりに身動きの取れないジレンマを感じていたのでは無いかと慮るようになりました。
母が緩和ケア病棟で亡くなる数日前に「韓国料理が食べたい」と言い出し、姉が自宅近くで韓国料理をテイクアウトして長女と一緒に病室へ来てくれた事があります。その時に美味しそうに食べる母を見て満足そうにしていた姉は「ああ、これが出来て良かった」と言いました。
義兄の実家よりも先に子供を連れて実家へ来てもらえたのは正直ありがたかったです。父と二人ではあまりにも渋く静かなお正月となった事でしょう。


 この場ですので正直に告白しますと、母とは友人関係のような関係であった私ですが、反面父とはまっとうな親子関係は未だに築けていません。
高度成長期のサラリーマンであった父は私の子供時代および成長期には仕事で殆ど家にはおらず、子供の事は全て母に任せていたと言うコミュニケーション不足からなのでしょうか、今でも共通の話題が殆ど無く、実家に滞在しても話す事はあまりありません。父は私がどんな食事を作っても「美味しい」も「ありがとう」もありません。態度を見ていると感謝の気持ちが無い訳では無いようなのですが、言葉にして言えないのです。
私も私でもっと優しい言葉をかけられれば良いのですが、ついついつっけんどんになってしまいます。お互いが呼んでいるムードですね。父には本当に申し訳無いのですが、正直毎月の実家滞在が憂鬱に感じたりもしています。
でもまだ体が元気で一人で暮らしてくれている父には感謝しなくてはいけないかも知れませんね。
あまり自分を追いつめず、父の老いに沿いながら良い関係を築き直していければと思います。

 そんな事を思う度に,母が亡くなる前に「お父さんの事を頼んだわよ」と再三言っていたのを思い出します。
母はまさか自分が先に逝くとは思っていなかったのでしょう。今の私や姉を見て母はどう思っているのでしょうか。

 
 話は変わります。
新年は5日から仕事初めでした。昨日まで現場である表参道に通っていたのですが、駐車場の近くにある洋服店のマネキンが、母が良く着ていたものと同じようなダウンコートとパンツを身に着けていました。たかだかマネキン人形なのですが、無性に悲しくなって仕事帰りの車の中で泣きました。母が亡くなってから思わぬ所に悲しみの地雷があります。

 この悲しみは近い友人にも、主人にも分かってもらえない。同じ経験を持つ人にしか分からない、そんな気持ちから家に帰ってから泣くよりも一人の車の中で涙を流す事が一番多いように思います。どうにも気持ちがおさまらない時は自宅の近所に車を停めてしばし気持ちが落ち着くまで待つ事もあります。孤独を感じる瞬間ではあるのですが、自分自身と向き合う事で悲しみと向き合い、向き合う事で少しずつ癒されていくのかも知れない、と最近では思います。

 思いつくままにつらつらと書きました。
新しい年が皆様にとって希望の持てるものでありますように。


 2010年 ぽん