2010年4月2日金曜日

桜の季節になりました。

 また随分とご無沙汰してしまいました。ここを訪れて下さっている皆様、お元気でしょうか?
昨日から4月になったとは言え、夜はまだ冷え込みます。
今日は休みでしたので夕方に缶ビールを持って近所の公園へ赴きました。近隣だとナンバーワンの植樹数を誇る桜は八分咲きまでゆかず、七分くらいの開き方ですが充分綺麗で、幻想的な桜のアーチの下でしばし一人でビールを飲みました。

 覚悟をしていた事ですが、桜を見ると母の事を強く思い出します。
2008年の記事
母にとっては人生最後の桜になってしまった実家の近くの公園の桜はまだ二分も開いていません。

 母と眺めた桜。
公園を散歩しながら「もう治療に疲れた」「これが人生最後の桜になるのならそれでもいいわ、むしろその方がいい」と母は私に言いました。
あんなに明るく元気だった母、姑を看取り、都内の家を売って念願の田舎暮らしを始めて楽しそうに花を育てていた母、まだ老後を充分謳歌出来る年齢なのに何故?!と母と二人桜の下を散歩しながら、私の心中は母に起きている事の理不尽さと不条理に神様をも恨む思いでした。

その頃から母は鬱状態が悪化して、良く「死にたい」「こんな苦しい思いをするのなら早く死にたい」と私や父に言うようになりました。
母は本当に死にたかったのだろうな、と最近は思います。
そんな事言わないで、とか、まだ治療の可能性があるのだから、などとしか言えなかった私。母の死にたかった思いに少しでも寄り添えたら良かった、その頃の母にとって死とは、治療や衰えて行く身体からの解放だったのだと今では思うようになりました。

人は遅かれ早かれ誰もが死にゆくのですよね。
あの世から見たら人ひとりの一生なんてアッと言う間だとか。いずれまた会える、一時のお別れなのだと。
私が旅立つ時には迎えに来てね、と母にお願いしています。
母の死を見届けて私自身の死生観も少し変わりました。


最後に。
母の仏壇には花が大好きだった母の為に生花をいつも置いています。
スーパーの花は持ちが悪いし、仏花はあまり綺麗じゃ無いし、気軽に切り花のセットを買える花屋さんが出来ないかな、と思っていたら、その願いが叶いました。自転車で10分くらいのところに新しくお花屋さんがオープンして、500円でこぢんまりとした綺麗な洋花の束が買えます。
静かな喜びでした。

切り花も良いけれど、今年はこっそり桜を枝ごと花泥棒して母に見せようかしら、なんて思ってもいます。