2008年8月29日金曜日

納骨

 明日は納骨です。早いものでもう四十九日です。お墓は遠方ですので朝早く新幹線で行くのですが、嵐のようなこの天気...。
お寺さんに確認したら災害になる危険の無い程度の大雨ならば納骨は予定通り済ましましょう、との事。
でも新幹線が停まったら万事休す、です。
何とか予報を裏切る天候になって欲しい、と強く願っています。

 先日実家の母の部屋を少しだけ整理しました。
母は最後入院する寸前まで編み物をしていました。色々と多趣味だった母ですが、病気が分かってからは殆どを諦め、編み物が最後まで続けられた唯一の趣味でした。
 母は生前私に「私が編んでいるものは全部形見だと思って大事にしてね」と何度も言いました。
それが気になっていたので、手編みのものは全部圧縮パックに入れて、あまり圧縮しないように気を付けながら防虫剤と一緒に密閉しました。セーターやベストや帽子、数ヶ月前まで母が私の目の前で編み棒を持って編んでいたものばかり。触っているだけで涙が出ます。
姉や姪、母のごく親しい友人達で分けようと思っています。

 洋服やバッグ、その他諸々、、、あの旅行の時に持っていた鞄、着ていた洋服、などと気付いてしまうと思い出にふけってしまい、ついつい手が止まってしまいます。
まだまだ片付けられる時期ではありません。

 私自身の生活はすっかり日常に戻りました。
日々起きる色々な事を母に話したくなります。とても会いたいです。

 母は亡くなる数ヶ月前に病院へ行く車中で「もしも今はやっているスピリチュアルの話が本当だとしたら、私が死んだら絶対にあなたの近くで守っていてあげるからね」と冗談めかして言われた事があります。
 今の私にはアナザーワールドの事に思いを寄せる余裕もありませんが、母のこの言葉を信じて、母はいつも近くにいるのだと思う事で少し救われます。


 
 

 
 

 

 

 

2008年8月13日水曜日

最近

 母と最後に過ごした病室の事を良く思い出します。
千葉県内の緩和ケア病棟の一室で、窓の外は病院の広大な駐車場、その先には畑が広がる、見晴らしの良い部屋でした。

 緩和ケア病棟に移ってから母はあまり話の出来ない状態になっていました。
それでも脳転移の処置の効果が現れ、吐き気はすっかり抜けて毎日「◯◯が食べたい」と食事のリクエストがありました。
その◯◯を作るために車で5分くらいのジャスコに行き食材を揃え、病室の電気コンロの限界にチャレンジ!という感じで毎日色々と作っていました。

 母は貝のお味噌汁が大好きで、病室でも毎日必ず作っていました。
今でもしじみやあさりのお味噌汁を作るとお仏壇にお供えします。

 母が痰がつまり二度目に呼吸困難になった時に病室の担当看護士さんに呼ばれました。
自分の経験によるとそのような状態になってからの予後はあまり良く無い、なるべく一緒にいられる体勢は作れますか?との事、その言葉で私は仕事のキャンセルをして、後先考えずに病室に泊まり込みの生活を選択しました。

 その看護士さんは緩和ケア病棟専門の看護士さんで、私の話も良く聞いて下さいました。
また母の入浴の際には看護士さんが着るような防水の前掛けを私にも貸して下さり、一緒に体を洗ったり、マッサージをしたりさせてくれました。途中で入って来た職員の方が「あら?ご家族の方?」とびっくりしていました。とても感謝しています。

 心残りは最期にその看護士さんに会えなかった事です。
手紙を書こうか、電話をしようか、と考えながら日々時間ばかりが過ぎてしまいます。

 

2008年8月12日火曜日

明日

 明日8月12日は母の月命日です。
あれから一ヶ月。あっと言う間のような気もしますし、1年のように感じたりもします。
母はどこへ行ってしまったのか。
良く夢にも登場しますが、いつも闘病中の姿です。元気な時の母は出て来てはくれません。

 我が家に母の位牌が届きました。
父から分け位牌の許可をもらい注文していたのです。既に仏壇は用意していたので位牌を入れ、あとは納骨の時に位牌を持参して読経してもらえば仏壇として完成という格好になります。

 納骨の時に母の遺骨を少しもらおうと思い、仏壇に置けるくらいの小さい骨壺をネットでオーダーしました。

 まだまだ気持ちの整理は付きませんが、自宅に祈る場所がある事で少しだけ落ち着きを取り戻しました。
反面、様々な後悔が押し寄せて来ています。