2008年4月27日日曜日

副作用 その2

 1日経っても全く良くならない、と母が言うので今朝近所の病院に救急で入りました。脱水症状を防ぐ点滴をしてもらう為です。
昨夜は本当に吐き気がひどく、少し立って動くと戻してしまう、という本当に辛い状態でした。胃には何も入っていないのに吐いてしまう苦しさは想像を絶するものです。不謹慎ですが、私もかつてお酒の飲み過ぎで近い症状になった事がありますが、たった1日でも相当苦しかったのにそれが70才近い老人が4日も続いているなんて、どれだけの体力の消耗でしょうか。

 薬は抜けているはずなのにおかしい、このまま衰弱してしまうのでは無いか、という母の不安が現実にならないように、今後隔日くらいで点滴をして水分補給をしながら、完全にストップしてしまった胃腸をゆっくりと動かしていかなくてはいけません。
 こうなったら癌治療は二の次です。体が弱っているところで癌の勢力も落ちて欲しい!と願うばかり。

 点滴が終わり、私が車を出口に回していると、ふらつく母の手を父がしっかりと握ってこちらに歩いて来るのが見えました。頑張れ、お父さん!私がいない時もしっかり母を支えてあげてね。
 うどんの煮方、おかゆの作り方など、紙にしっかり書いて伝授して来ました。

 実家を後にする頃には母は湯冷ましを飲んだり、リンゴを少しだけ食べたり、ごく少量のおかゆも食べられました。
そもそもが健康体では無いので回復は遅いと思いますが、点滴のおかげか、ゆっくりと上向きになっている事を感じています。

 栄養学に詳しい友人が母の状態でも食べられそうなレシピを送ってくれたり、母の親戚がまめに連絡をくれたり、このブログにも非公開の励ましコメント、メールを頂いたりもしました。色々な人たちに支えられています。ありがとうございます。

 母が回復して癌治療を再開出来るとしたらタルセバしか無いと今は思っています。

 

2008年4月26日土曜日

副作用

 水曜にイリノテカンを投薬してから4日が経ちました。今まででしたら副作用が抜けて楽になっている頃です。
今回は何故だか今だにひどい吐き気が抜けません。水を飲んでも戻してしまいます。固形物は入りません。

 4日間何も食べていない事から衰弱がひどく、歩いてもふらついてしまいます。
声を出したり立って歩いたりすると吐き気がひどくなるようで寝ている事しか出来ません。仕事を整理してなるべく実家に長期滞在出来るようにはしていますが3日が限度です。
 70才を超えた父は自分の事はかろうじて出来ますが、母の事は何かしてあげようと思っていても的外れな事ばかりしています。仕方ありませんね、この年齢の男性ですから。
 
 近所のクリニックで点滴を、と思っても本人が点滴の事を考えただけで吐き気がする、と拒否をします。
しかしそうも言ってはいられません。本当は今すぐですが、あと数日これが続くようなら危険な状態ですから何かしらの手を打たなくてはいけません。

 私が一番恐れているのが、これが副作用では無かった場合の事です。
何故なら多くのがん患者さんの終末期と症状が似ているからです。でも抗がん剤の投薬日までは割合元気にしていたのにそんな急に、という疑問もあります。
 今までの薬の蓄積で今回は特にひどく副作用が現れているのであれば早く抜けて欲しいと切に願います。

 今週の通院の際に腫瘍マーカーが上がっているから、と減量では無く標準量を投薬してしまった事を強く後悔しています。私が一緒にいながら、何故母の体調を一番に考えずに主治医に従ってしまったのか、悔やまれます。
 イリノテカンに見切りを付けてタルセバに移行する為に一週休薬、という事にすれば良かった、と今となっては思います。

 

2008年4月24日木曜日

通院日

 久しぶりに母の通院に同行しました。
先週の休薬から今日は予定通りに投薬です。母は投薬の事を考えるだけで吐き気がこみ上げてくるという、精神的にも圧迫されている昨今です。
 しかも先週計った腫瘍マーカーCEAが突然10も上がってしまいました。来月の連休明けには脳検査、翌週にはCT検査が待っています。毎度の事ではありますがどうしても嫌な予感ばかりがよぎります。

 イリノテカンの副作用はイレッサの時ともナベルビンの時とも違い著しくQOLを落とすものです。吐き気から食欲も無く痩せて、ちょっとした事でふらついてしまう母を見るのは辛いです。
 今日は投薬直後に吐いてしまい、「もうこの治療を辞めたい」と仕切りに言っていました。ただただ可哀想になります。もう治療自体を辞めさせてあげたい、と思う気持ちと生きていて欲しいと思う気持ちのジレンマがあります。
いずれにしてもこれでは本末転倒、治療で弱ってしまうのは母の病期にはとても危険な事です。
 今日主治医は「副作用は大した事は無いですね」と言いました。吐き気が辛いから減薬を何度も申し出ているのに。

 CEAも上昇している事ですし、薬を変える時期かも知れません。次の選択肢としてはTS-1単剤、もしくは白金剤との2剤投与、アムルビシン単剤、もしくはタルセバです。タルセバに期待せずにはいられない状況ですが、脳検査、CTの結果を待ってからの決断が賢明だと思っています。でもそれまでの半月をどう凌ぐかが問題です。
 思い切って無治療にしたらどれくらい進行してしまうのか、誰にも分からない事です。逆に治療を半月休んだら体力が戻るかも知れない、と言う淡い期待もあります。

 このブログを訪れて下さる皆さんも今後の治療に頭を悩ませている事と思います。後戻りの出来ない決断ですものね。
でも本人の意志を尊重した上で「選んだ事が正しい!」と信じていくしか道は開けないように感じています。

 

2008年4月15日火曜日

新しい週の始まり

 週末は仕事でバタバタと過ごしていました。今日明日と休日です。やらなくてはいけない事は山積みなのにどれも中途半端な状態で放置したまま。自分の集中力と実行力の無さを痛感します。

 母は今週は休薬です。
副作用による食欲不振が少しでも改善されればとヒスロンHの服用を始めました。効果の程はまだ分かりませんが、少しでも食欲が出てくれれば精神的な部分も改善される可能性があるのでは無いかと思っています。

  
 最近心がけている事....
一日に数分間でもきちんとリラックスする事です。きちんと、と言っている時点でいかに私がリラックス下手かがお察し頂けるでしょう。
そうなのです、貧乏性というのでしょうか、心身を緩める事が苦手なのです。
しかも常に大きな心配を抱えていると知らず知らず心と体が緊張して息が浅くなっているような感覚があります。だからこそ少しの間でも頭の中を空にして、しっかりと深く呼吸をするのが大事なのではと思い、ここ最近友人から借りた瞑想の本を読んでいました。
 瞑想(メディテーション)というと宗教じみた匂いを感じる人もいると思いますが、私にとってはリラックス法の一つです。本に付いていたCDのガイダンスに乗っ取って座って呼吸を繰り返しているとなかなか良い気分です。
なかなか頭の中を空にする事は出来ないのですが、目を閉じてなるべく良い景色や楽しい事をイメージしてみたりして肩の力を抜いて....すると突然「にゃ〜!!!」という声で我にかえりました。しかも我が家の猫は瞑想体勢で座っている足の間に入ってきて即座にゴロゴロとリラックス状態に。
私の瞑想は中断されましたが、ある意味猫から自然にリラックスする事を学んだ気がします...。
 
 このブログを読んで頂いている患者家族の方々も心身疲労が溜まる日々だと思います。何かおすすめリラックス法があれば教えて下さいね!

2008年4月8日火曜日

また雨....

 昨夜から嵐のような雨が続いています。肌寒く、仕事部屋の暖房器具を片付けてしまったのを後悔しています。

 週末実家へ行きました。
近隣のクリニックで自費で検査してもらっている腫瘍マーカーの結果が出ました。採血してから外注するので結果はいつも一週遅れです。
画像では若干の進行が見られたものの、CEA自体は少し下がっていました。最近は40後半の数値を行ったり来たりしています。多大な効果は見られないイリノテカンですが、病気の勢いを食い止めているくらいの効き方はしている、無治療だったらきっとこうはいかないと思う事で納得するようにしています。
 
 副作用は相変わらず辛いようです。吐き気、手の痺れ、めまいなど...。
一週間一度の投与だとようやく抜けた頃にまた次回の投与日が来てしまいます。気持ちが悪くなる、と分かっている薬を投与するストレスを考えると、「もう治療なんか全て辞めてしまいたい」と思うのも無理もありません。最近では病院の建物を見るだけで気持ちが悪くなるようです。

仮に私だったら耐えられるのだろうか、もしかしたらもうとっくに音を上げているかも知れない、と良く思います。 
母に生きていて欲しい、と願うばかりに過酷な治療を課しているのは私なのでは無いか、と思ったりもします。
母は「こんな思いをするくらいならいっそ無治療で死んでしまいたい」と言う時もあります。その度に罪悪感を覚えるようになり、今後の事は母の意志を一番に尊重して決めていくべきだと改めて思ったりします。それでもやはり目前にあるタルセバ、命がある内に認可されるかも知れないアリムタなどを試して欲しい、と思ってしまうのは私のエゴなのでしょうか。

 二年間の闘病で色々な事がありました。色々な先生のお話も聞きました。
脳転移が発覚して落ち込んだり、イレッサが想像以上に効いて大喜びしたり、肝転移が分かってまた落胆したり......。
明らかなのは病気はゆっくりと進行している事、悲しい事実ですが受け止めざるを得ません。
 
 先を考え過ぎると暗くなるので、思考をブロックするように近いスパンの事しか考えないようにする変な癖も身に付きました。
母親の看病を10年以上続けている友人がくれたメールに、「もう母には無理して頑張って欲しいとは思わない。辛い様子をずっと見て来たからますます思う。今はただ側にいて出来る事をしているのみ」とありました。自分には深い言葉でした。
 
 辛い選択ですが、無治療というのが母が本当に望む形なのだとしたら従うべきなのかも知れません。
元気な頃の母を思うと自分がどんどんと治療で弱っていくのは堪え難い事なのだと思います。もちろん無治療でいるその先を考えるとどちらが楽なのかは今は分かりませが....。

 常に病気と向き合い、治療に費やしてきた二年間、本来なら老後を謳歌出来る年齢です。
病気の事を何も知らずに元気だった頃の母を思い出すと切ない気持ちになります。でもそれはたった二年前なのです。何だか信じられません。

 弱音めいた記事になってしまいました。
このブログにコメントを下さる方々は私と状況が似た方が多く、本当にいつも励まされています。この日本のどこかに同じような気持ちを抱えて生きている人がいるのだと思うだけで救われた気持ちになります。この場を借りてお礼を言わせて下さい。

2008年4月2日水曜日

様々な治療

 4月になったというのに北海道では大雪の荒天候、関東でも肌寒い日が続きます。満開だった桜も散り始め、これから新緑の季節ですね。

 母は今日8回目のイリノテカンの投与を終えました。
先日のCTでは若干の原発、転移ともの増大が認められていますが、タルセバを目前に薬を変えるという選択はあえてしていません。
 それにしてもこの短期間に8回もの抗がん剤投与をしていると考えると母の肉体的、精神的消耗疲労はいかほどのものかと思います。ウツ状態になるのも無理はありません。

 話は少し変わります。
ここ最近、漢方治療、鍼灸、気功その他の東洋医学をベースとした治療法や、心理療法というのでしょうか、カウンセリングなどを交えた治療に関わる人が身の回りに増えています。
 私自身そういった西洋医学以外のものに興味が無い訳では無いのですが、ネットで検索しているとあまりに多くのサイトがそういった治療をベースに癌が消えた、などとうたっている事がわかります。健康食品の類のサイトも癌ビジネスと言われるほどに数えきれない位沢山あります。
(健康食品は東洋医学とは一線を画していますが)
 告知をされたばかりの患者や家族は化学治療への恐怖からそういったものに可能性を求めて逃げてしまう心理があると思います。実際私もそうでした。早い時期に気付き、化学治療をベースに置かないと命を縮めるだけだという事が分かったのは幸いでした。

 母が告知されてから、もしや効果があるかも知れないと友人に、その筋では有名なとある気功師による気功治療を勧められました。電話で遠隔治療も出来るからと言われ、実際どういうものかを見る為に自分自身が受けに行ったりもしました。改善の程を計る為にその時は慢性的なドライアイを治したい、という名目で行ったのですが、効果があったのか無かったのか、一回ばかりでは何とも言えませんが、少なくとも癌という病気が治癒する類いのものでは無いと感じました。

 身の回りにも東洋医学的治療信奉者、もしくは実際に治療に関わる友人がいます。
このブログは友人達には非公開にしていますのではばかる事無く言わせてもらいますが、彼らの多くは東洋医学的視点に偏り過ぎていて、西洋医学的な治療に関して全くの勉強不足だという事を私は感じています。むしろ西洋医学には否定的だという共通点もあります。
 真の意味で治療に関わるのであれば、両サイドの知識を持ち、足らない部分を補うという姿勢が必要なのでは無いかと思っていますが、なかなか私のその思いを伝える機会はありません。

 母の病気の事が無ければ私もこんな事は考えもしなかった事ですが、乱暴に分けるならば、今起きている症状を治める、というのが即効性のある西洋医学的発想、長い目で体質改善から、というのが東洋医学的発想なのでは無いかと思っています。癌という疾病に関して言うならば体質改善している間に命が無くなってしまうかも知れません。
 それより何より気功や漢方で癌が治るのであればこれだけ多くの人が癌で亡くなりはしないでしょうね。

 東洋医学、または健康食品を否定するつもりはまるでありませんが、癌のような重篤な病の領域に治療という名目で入ってくるのは患者や家族の悲劇を生むので辞めてもらいたいと思うのです。それを行う側、扱う側もしっかりと西洋医学治療で使う薬の種類や効果も把握した上で、あくまでも補助的治療として提唱する、というあり方でいて欲しい、と切に願います。

 これこそ私の偏見なのでしょうか。