2010年5月11日火曜日

5月

 こんにちは。ゴールデンウィークが明け、世の中が通常の動きに戻り、私のような旗日で仕事をしていない人間はホッとします。
ゴールデンウィーク中も変わらずに仕事をしていました。高速道路での移動をしなくてはいけなかったのですが、本当にひどい渋滞に苦しみました。高速道路料金の見直しに関して思うのは「仕事ドライバーに少しはメリットを!」です。運送関係のみならず、私のように仕事で車を使わざるを得ない職種にも週末祝日の移動は憂鬱です。もちろん恩恵を受ける事もありますので、観光に出かけるドライバーさんたちとのバランスを考えて、まず第一にこの殺人的な渋滞を回避するシステムを作って欲しいです。


 全く関係の無い話題から始まりましたが。。。
連休明けに父が入院しました。ずっと苦しんでいた腰椎の痛み(脚の痛み)を治す手術を受けるためです。母が亡くなってから独り暮らしを続けている父は、このまま痛みが引かずにいたら歩けなくなるかも知れない、と言う恐怖を抱えていたようです。数ヶ月レベルの入院になる可能性もありますが、今後安全に歩行出来る可能性と引き換えに踏み切った手術です。

先日手術は予定通りに行われました。
腰部を切開、腰の骨にビスを入れ、自分の骨を削って埋め込む、と言う大手術でした。
術後、全身麻酔が覚め始め、意識が戻ってくると共に父は傷口の壮絶な痛みに襲われ、痛い、痛い、痛み止めを打って欲しい、とうなっていました。早急に座薬と注射での投薬を開始してもらいましたが、なかなか効かず、父はずっとうめいていました。
現代医学において術後の疼痛がこれ程にひどい事ってあるのでしょうか。

どうする事も出来ず、母に祈りました。
どうかお父さんを守って、お母さん、お願い、と病室の窓の外に手を合わせました。
そしてもう一度看護師さんに「痛み止めが効かない、このままだと眠る事も出来ないから何とかして欲しい。もっと強い薬を投薬して欲しい」と頼みました。
「これが一番強い薬なんです」と、あっさり言われたものの、このままだと生殺しです。

そこに主治医が病室を訪れました。痛みがひどくて堪え難い事を伝えると「麻薬系の薬がありますが使いますか?」と聞かれ、即答でお願いしました。
母の時と同じモルヒネ系の沈痛剤です。

さすがの効き目でほどなく父は眠りに落ちたようでした。母への願いが届いたのでしょうか。


病院での一連の作業や交渉は母の時と同じで慣れています。でも病院と言う空間に長くいる事には慣れません。
どうしても母と最期に過ごした病室を思い出してしまいます。またそれ以上に母を看取ってから、しばらく病気や病院と言う事を忘れたかった気持ちも強いです。
母が生きていれば父の入院ももっと違ったものになったかも知れません。父もきっと同じ思いなのでは無いかと思います。


父の手術が終わるのを病室で待っている間に一瞬の眠りに落ちた時、短い夢を見ました。
病室の前の廊下を母が歩いてこちらへ近づいてくる夢でした。母は笑顔でした。すぐにそれは夢だと気付きましたが、もしも本当に母が生きていたら、明るい母の事ですから、こんな風に笑顔で「お父さん、どうかしらね〜?うまくいったかしら」なんて話していたことと思います。
でももしかしたら父の入院に付き添っている私に母が会いに来てくれたのかも知れません。そんな祈りに似た思いもあります。


夢の話はまだ続きます。
その日の夜も母は夢に出て来ました。夢の中の母は珍しくとても元気そうで、ちょっと見慣れないおしゃれをしていました。
母が亡くなる1年くらい前までは母と定期的に二人で旅行をしたのですが、その関連の夢のようで、私たちはどこかの旅行先で公園を散歩していました。川の水が溢れそうなくらいの勢いで流れていた事を覚えています。
お土産を買おう、と言う事になりお店に向かって歩き、ふと母の顔を見ると母は泣いていました。「もうすぐあなたにも会えなくなる」と言って泣いていました。

そんな夢です。
やっぱり悲しい夢になってしまうのですね。

母は亡くなる数ヶ月前から「お父さんの事を頼んだわよ」と何度も何度も私に言いました。
今父の為に遠い病院へ通い、入院中の世話をしているのも「もしかしたら母が見てくれて感謝してくれているかも知れない」と言う思いに支えられているからです。


少し前に上原美優さんと言う若いタレントさんのお母様が急死された時のインタビューを見ました。その中で「今までテレビに出て頑張っていたのって、ぶっちゃけお母さんに見せたいからだったんです」という言葉を聞きました。無駄に涙も流さずにそう語った若い彼女の本音を聞いた思いでした。
こんな年になってもまだ「母に見せたいから、見ていて欲しいから」と言う思いは抜けません。


何か良い仕事をした時や特別な事がある時、「お母さんに言おう!」と今でも思います。
でも今は言わないでもきっと見ていてくれる、全部分かってくれているんだ、と思い直すのです。


また思いつくままにダラダラと書いてしまいました。
読んで下さった方、本当にありがとうございました。