2007年7月28日土曜日

暑いですね

 梅雨明けの発表を待たずに夏本番、今日は猛暑でした。何をしていても汗が流れます。
一昨日から実家におりました。月一回は2〜3日両親と過ごす事にしています。母は咳が多く気になりますが至って元気で、サイバーナイフは素晴らしく副作用が無いものだと改めて痛感しました。

 抗がん剤の方は種類や量が増えたと言っても標準的治療に比べると半量に近いのでこちらも副作用はあまり感じていないようです。
作用しているのかどうかが謎ですが、、、
 本人は至って呑気で、微妙に上がり続ける腫瘍マーカーや多発脳転移にもあまり動じていないようです。内心は分かりませんが、ネットで様々な知識を得ようとしている私との間には治療に関しての解釈や展望に開きがあります。

 「もう子育てもとっくに終っているからあまり追いつめた治療をしたくない」と良く母は言います。
私にしてみれば父を残していかないで、とか、もっと老後を楽しんで欲しい、など勝手な希望はありますが、本人の感覚を一番尊重すべきなのでしょうね。

 このブログ、謎が多くてやはりコメントが入らない、という話を聞きます。
アドバイス頂いた通りに設定を変えてもういじる所が無いような感じなのですが、、、申し訳無いのですが読み逃げして下さいね。

2007年7月27日金曜日

サイバーナイフ治療 続報

 4日間に渡るサイバーナイフ治療を終えて、一旦休憩です。一日2〜3個の腫瘍の処置、合計12個の処置をしました。
残ったものは今すぐ処置を必要としない微小なものだそうで一ヶ月後の通院で再度処置予定です。

 サイバーナイフセンターに通う中日に肺の診察がありました。私が事前に書いておいた主治医への抗がん剤治療内容の変更をお願いする手紙を母に託し、その日からナベルビンの増量と新しくジェムザールも加えてもらいました。
まだまだ標準治療には届かない薬量ですが、肺原発を抑えてくれる事を祈るのみです。

 この短期間での多発転移は今後が不安になるばかりですが、まだ起きていない事に落ち込んでいても仕方ありませんね。母は元気に家事をしています。習い事もしています。そのささやかな幸せを守る為に戦うしか無いのです。

2007年7月21日土曜日

サイバーナイフ治療開始

 今日から治療が始まりました。
細かく数えたら24個ほどの多発転移があったそうです。今日から10日ほどかけて一日2〜3個の腫瘍を潰していくそうです。
全脳照射にならなかっただけ良かったかも知れません。

 サイバーナイフセンターのMRIは精密なので通常見えないような転移も見えているのかも知れません。
ふと気を抜くとネガティブになる自分がいますが、戦いたいと思います。

 「前向きに、大丈夫だよ!」と励ましてくれる友人もいますが、こんな時に前向きになりたいけどなれない、大丈夫だなんて何故わかるか、などと天の邪鬼になる贅沢者の私です。自分が思っている以上にショックを受けているようです。

脳転移

 今日は母の脳MRI検査に同行しました。昨年から某サイバーナイフセンターで診てもらっています。

 結果、、、、何と15個以上の多発転移がありました。
イレッサを休薬した時点でどこかで覚悟していた事態ではありますが、さすがにショックでした。

 センターの主治医は変わり者のような風貌の、口調もちょっと荒いような先生ですが、実は凄く細やかにこちらが神経質にならないように気を使ってくれている先生です。私はとても信頼しています。
 
 先生曰く「五月の時点では確かに何も見えなかった。でも自分の中では事態はあまり変化していないんだよね。こうなる事は想定内だよ」との事。私にとっては安心出来る言葉でした。
画像に見えているかいないかの違いだけで、既に過去に脳転移の経緯があるという時点でこの事態は予測出来る訳で、実際治療にかかる時期を遅めたのがイレッサだったという事ですね。

 肺の原発の治療を考え直す時期である事も認識しました。
減量した抗がん剤治療がベストだと思って主治医に遂行してもらっていましたが、副作用も無い変わりに作用もしていないようで、先日のCTでも「原発、転移部の若干の増大」が認められました。

 ナベルビンの量を増やすのか、ジェムザールと併用するのか、とにかく少しでも進行を遅らせたい、と切に願っています。
肺の主治医はこちらの言いなりで、自分の意見を言わない人です。「この場合はこうした方が自分の経験上良い」と言ってもらえた事は一度もありません。

 サイバーナイフセンターでの治療は早速明日からです。
センターの主治医は「今後転移が増えても治療をするだけだよ、これからもね、淡々とね」と最後に言いました。
先生、母をよろしくお願いします。


 

2007年7月17日火曜日

地震

 仕事で東北地方に行っていました。
ゆっくりの朝で、ホテルで身支度をしていると突然グラッとめまいがしたような感じがしました。すぐに地震と気付き、しかも揺れが大きくなっていったので靴を履き部屋から出られるように準備しました。
 幸い揺れは治まり、館内放送でも避難の必要性は無いという事で安心しました。

 テレビを付けると新潟県中越の震度が6強だと知りました。また新潟。どうして?と思うと同時に新潟の親戚の事が心配になりました。メールを送ると、かなり揺れたけど家族全員揃っている時だったので心強かったとの事。怪我などの被害は無かったようです。

 この地震による死者の数は増え続けています。
人間っていつどんな風に死んでしまうかわからない。
天災によって何の前触れも無く大切な人の命が奪われてしまうなんてどれだけ無念な事でしょう。想像するだけで心が痛みます。
 
 東北からの帰り道に母から電話がありました。
私の身を案じてくれていたようです。親というのはありがたいものですね。

 今週母をサイバーナイフセンターへ連れて行きます。
脳の定期検診です。イレッサは脳転移にも劇的に作用していました。イレッサを休薬中の今、新しい転移が無いかどうかが気がかりです。

2007年7月12日木曜日

近況

 今日は母の通院日、同行は出来ませんでしたが、予定通りナベルビン投与完了とのメールが届きました。
減量投与ですので白血球値も限りなく正常値に近く、体調も良いようです。母曰く「効いている感じがする」そう。こればかりは経験が無いので分かりませんが「目、鼻、額の皮膚がぴりぴりと引きつるような感じ」がするそうです。特に痛みがあったり不快だったりする訳では無いようですが、減量した投与でもこのような体感があるというのは抗がん剤が並外れて強い薬であるという事を思い知ります。
 腫瘍マーカーも画像の所見も取りあえず現状維持は出来ているようです。何事も「気」が大切。効いている「気」がするのは良い事です。

 話は変わります。
仕事の現場で「Moon River」を聴きました。何度も聴いた事のある良く知っている曲なのですが、その時は妙に心に染み渡り「ああ、本当に良い曲だな、、、」と今更ながら涙が出るくらいに感動しました。
 Moon Riverのメロディーがここ数ヶ月頭を離れず、心の中でずっと歌っていたのですが、今日やっと「Breakfast At Tiffany’s」のDVDを観ました。’61年の作品、正に母の青春時代の映画です。
 ストーリー自体はシニカルな笑いを含んだ深みのある作品で全く古さは感じさせず、母が過ごした二十代への思いを馳せつつ、60年代のアメリカへの憧れがより強くなりました。

 とにかくAudrey Hepburnが素晴らしく綺麗でチャーミング。
Audreyは60台前半で結腸ガンで亡くなったとか。
 晩年の貧しい子供たちの為に東奔西走していた映像を見かけた事があります。あの凛としたたたずまいから察するに最後まで望む生き方を全うしたのだろう、と想像します。

 Audreyに重ね合わせるのも恐れ多いのですが、母にもそうあって欲しいと願います。
出来るだけ長く生きて欲しいと願うのは娘として当然なのですが、今後の治療の選択に関しては、私の思いよりも母がどうしたいか、どれくらい生きていたいか、よりもどう生きていたいかを話し合って決めていきたいと思いました。