2008年8月13日水曜日

最近

 母と最後に過ごした病室の事を良く思い出します。
千葉県内の緩和ケア病棟の一室で、窓の外は病院の広大な駐車場、その先には畑が広がる、見晴らしの良い部屋でした。

 緩和ケア病棟に移ってから母はあまり話の出来ない状態になっていました。
それでも脳転移の処置の効果が現れ、吐き気はすっかり抜けて毎日「◯◯が食べたい」と食事のリクエストがありました。
その◯◯を作るために車で5分くらいのジャスコに行き食材を揃え、病室の電気コンロの限界にチャレンジ!という感じで毎日色々と作っていました。

 母は貝のお味噌汁が大好きで、病室でも毎日必ず作っていました。
今でもしじみやあさりのお味噌汁を作るとお仏壇にお供えします。

 母が痰がつまり二度目に呼吸困難になった時に病室の担当看護士さんに呼ばれました。
自分の経験によるとそのような状態になってからの予後はあまり良く無い、なるべく一緒にいられる体勢は作れますか?との事、その言葉で私は仕事のキャンセルをして、後先考えずに病室に泊まり込みの生活を選択しました。

 その看護士さんは緩和ケア病棟専門の看護士さんで、私の話も良く聞いて下さいました。
また母の入浴の際には看護士さんが着るような防水の前掛けを私にも貸して下さり、一緒に体を洗ったり、マッサージをしたりさせてくれました。途中で入って来た職員の方が「あら?ご家族の方?」とびっくりしていました。とても感謝しています。

 心残りは最期にその看護士さんに会えなかった事です。
手紙を書こうか、電話をしようか、と考えながら日々時間ばかりが過ぎてしまいます。

 

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