2009年8月5日水曜日

大変ごぶさたしております。

 何と4ヶ月ぶりの更新!こんなランダムなブログを訪ねて下さりコメントやメッセージを下さる方々にはありがたくて涙が出そうです。

 7月12日に母の一周忌を迎えました。
お墓のある名古屋へ父と姉と向かい、お墓へ行く前に駅構内のデパートのレストランで父のバースデーパーティーをしました。
父の誕生日は母の命日の翌日。父が一人残されても寂しい誕生日にならないように、と言う母の計らいを感じざるを得ません。

 私にとって母が亡くなって一年と言う年月はとてつも無く長かったような、アッという間だったような、今までに味わった事の無い時間の流れを感じる日々でした。
 ただ言えるのは、一年が経ち、ようやく悲しみが現実のものとなり、今まで以上に母に会いたい、話がしたい、と思ってしまう事です。

 特に母が亡くなったこの季節の到来で、より鮮明に亡くなる寸前の事を思い出してしまいます。
緩和ケア病棟に入ってからの2週間、同じ病室に寝泊まり出来た事は今となって思えば宝物のように貴重な時間でしたが、同時に胸が張り裂けるくらい切なく悲しい時間でもありました。
 
 毎日母の仏壇には手を合わせ、この無精者の私が生花を絶やした事はありません。それ自体自分でも驚きですが、こんな風にして人間って故人と繋がっていくものなのだと、大切な人を何人も失っているであろう目上の人たちの信心深さを見て納得したりもしました。
 
 最近は仕事で私生活で、何か困難、難儀な事が起きた時に心の中で母に話しかけます。「お母さん、どうしたらいいかな?」と言うように。一人でいる時などは実際声にも出しています。
 もちろん回答は聞こえませんが、「きっと母ならこう言っただろうな」と言うところで自分なりの落ち着き所を見つけたりしています。

 あまり詳しく話す事に意味が無いので避けますが、とても身近で信頼していた人物に長い間ウソを付かれていた事を母が亡くなった数ヶ月後に知りました。あまりにショックでしばらくは人間不信になりそうでした。まだ完全には乗り越えてはいませんが、今なんとか自分自身の生き方を見つめる事で立ち直りつつあります。
 
 考え過ぎかも知れませんが、もしかしたら母が私にその事実を知らせてくれていたように今では感じています。人間とは弱いもの。許す事は困難だけれどそう言う器を持ちなさい、どんな事があっても胸を張って生きなさい、と言うメッセージだったのかも知れない、とすら感じています。

 ※智海さん
コメントをありがとうございました。お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
遅ればせながらコメントのレスをさせて頂きました。

 
 
 

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