2009年3月2日月曜日

3月になりました

 このブログを訪れて下さる方のご家族の状態が悪化してしまったり、また訃報が届いたりすると自分自身の体験と大きく重なり本当にやり切れない気持ちになります。痛いほど気持ちが分かり、何も出来ない事に歯痒さを覚えたりもします。

 病気は本当にいやですね。どうしてガンという重篤な病気を大切な家族が負わなくてはいけなかったのか...
 病気になる事で勉強出来る事もある、という前向きな考えを提唱する人もいますが、あんなに明るく強かった母が自らの死を目前に「こんな状態で生きているのなら早く死んでしまいたい」と繰り返していた最後の数ヶ月を思うと到底私にはそんな言葉は出せません。
病気なんか無い方が良かった、母にはもっと長く生きていて欲しかった、それが今の私の心の叫びです。
 
 母の闘病から死に至るまで、もちろん得るものがゼロだったとは言いません。常に母を想い心配してくれていた母の友人達、事情を知りいつも私の事を気にかけてくれていた私の友人たち、遠方から葬儀に足を運んでくれた人たちの存在を心からありがたいと思え、人は一人では無いのだと感じさせてくれた貴重な体験ではありました。

 
 最近は実家に来るとようやく片付いた母の部屋に寝泊まりしています。片付いたとは言っても母の持ち物はまだ殆ど処分していません。自宅での葬儀の時に物置部屋のように置かれていた雑多な家財道具を元の場所に片付けただけです。

 母のパソコンもそのまま。
そのパソコン台に自分のノートパソコンを置いて使っていますが、私が送った治療に関する書類をプリントアウトしたもの、セカンドオピニオンを聞きに行く先のメモ、腫瘍マーカーその他の結果値のプリントなどを見るとまざまざと闘病の日々がよみがえります。
 母も一生懸命だったのだな、とまた涙が出そうになるのです。

 母はモノに執着の無い人でしたからモタモタと片付けをためらっている私に「使わないものはさっさと捨ててスッキリして」と言うのだろうな、と想像しています。でも娘としては母の使っていたものはなるべくとっておき出来れば自ら使いたいもの。
 
 最近とある英文の本を読み始めました。私の英語力では辞書は手放せなく、一ページ読むのにどれだけ辞書をひいているのか、という状態です。
 実家でその本を読む時には母の英和辞書を使っているのですが、最近その辞書の裏表紙に「英検受験の為に購入 1975 9月」という書き込みを見つけました。チェックした単語にはアンダーラインがひいてあったり母の勉強の足跡は感じていましたが、1975年の購入とは知りませんでした。
 
 1975年と言えば私も姉も幼稚園生と小学生。子育てに全ての時間を費やしてもおかしく無い時期に英検の受験を視野に入れて英和辞書を購入した母。
 勉強家である事は知っていましたが、改めて母の底力を知る思いでした。

 亡くなった今も母は私に沢山の事を教えてくれます。


 ▼追記
母の持ち物の中に最初の抗がん剤の脱毛の際に作った「かつら」を見つけました。
その他にも脱毛中の就寝時にかぶる手作りのナイトキャップ(専門の方に作って頂きました)、かつら付きの帽子などがあります。
 現在闘病中のご家族の為に必要な方は以下のアドレスにメールを下さい。
naokohz@yahoo.co.jp
 
 母の頭のサイズは分かりませんが156センチの中肉中背の女性でした。ヘアスタイルはストレートのショートでした。白髪は少ない方でしたのでかつらも白髪は入っていません。

 
 
 

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ぽんさん、こんにちは。
毎日なんとか暮らしています。
いつも面白キャラ全開の母だったので、できるだけ
明るく暮らせたらいいなーというのが現在の目標です。

うちの母もかつらありました。
夏目雅子さんのひまわり基金からのものです。
ですが母が『何でもいいわ~』と細かいオーダーもせず
テキトーに注文したおかげで「カツラ丸分かり」な
モジャモジャの代物が到着。
母が付けたところ絶妙なズレ加減で、もう大爆笑ものだったので
2~3回の着用後、付けなくなりました・・・。
あんなのとてもじゃないけど人様にお譲りできません。(汗
いまや姉の子とうちの子が交互にかぶって遊んでいます・・・
母も喜んでくれてるといいんですが。。
かつらも当たりはずれがあるんでしょうか?
やっぱり購入が一番いいのかな・・・。

匿名 さんのコメント...

ぽんさんこんにちは。

私はぽんさんが更新されるたびに、新たに勇気をもらったり、コメントに返信をいただいて励ましていただいています。
「ゾメタ」についても貴重な情報を得ることができました。母に伝えてあるので、主治医が積極的に使ってくれることを祈るばかりです。

お母様との思い出が詰まったこのブログを続けることも、もしかしたらぽんさんには辛いのではないかと思いました。
お母様が他界されて、少しずつその現実と向き合われている姿を想像して、私も自分のことのように心が痛みます。
同じ病気の母を持つものとして、決して他人事ではないからです。そして今の私の気持ちをぽんさんもきっと分かって下さっているのだなぁと思うと、一人ではないんだなぁと勝手に暖かい気持ちになるのです。

>病気なんか無い方が良かった、母にはもっと長く生きていて欲しかった、それが今の私の心の叫びです。

全くその通りです。なんで癌になんてなっちゃったんだろう、何で、何で?と私もいつも思ってしまう。80歳超えて90歳まで生きられる人がこんなにいる日本で・・・。と。

だけど、私の母はまだまだ頑張っています!元気に(?)治療を続けています!
今の私はそのことだけで、幸せなんだと思うようにしています。
いつも長々とコメントしてすいません。なかなかまとまったコメントにならなくて・・・
(ブログへのコメントというより、メールみたいでごめんなさい)

かつらのお話。
家の母も持っています。結構高いのを私がプレゼントしました。でも今はすっかり髪の毛がまた生えてくれたので、かぶっていません。私は似合ってると思ってたのですが本人は『かつらって感じがする!」と言ってます。前髪があるのが我慢できないんだそうです。おでこが自然と出せるようなかつらってないんですよねぇ~

ぽん さんのコメント...

>かなたさん
随分とレスが遅くなってしまいました。
その後いかがですか?お母様を亡くされた寂しさはそう簡単に癒されるものでは無いと思いますが、残された私たちがなるべく日々明るく過ごす事を心がける事が本当の意味での供養なのかも知れないと思います。
かなたさんのお母様は面白い方だったとか。だったら尚更ですね。

もじゃもじゃのかつら...
非常事態ながらも笑える事って大事な事かも知れませんね。お母様もかつらがお子さんたちのおもちゃになって喜んでいらっしゃるかも知れませんね。
かつらは正直値段と比例するものだと思います。
母が最初オーダーしようと思った所は即日家まで出張してくれてサイズから色から全てオーダーメイド、その変わりびっくりするような値段でとても悪かったのですが断りました。

意外に安くて良かったのが「髪の毛付き帽子」。
帽子の裾から毛が出ているので自然な見え方でした。

どうか体に気を付けて春をお迎え下さい。

>ゆうこさん
その後お母様はいかがですか?どうか安定した病状である事を祈るばかりです。

>今の私の気持ちをぽんさんもきっと分かって下さっているのだなぁと思うと、一人ではないんだなぁと勝手に暖かい気持ちになるのです。

もう本当に....痛いくらい分かります。
治らなくてもいい、どうにか現状維持で頑張って欲しくて、でも奇跡を祈ってやまない気持ち、私も母の病気が分かってからの一日一日はそんな戦いでした。

今になって思えば、特に最期緩和ケア病棟で過ごした貴重な一日一日にも何かしらの意味があったのだと少しだけ思えるようになりましたが、やっぱり病気が憎いです。そこには何の意味も見出せません。

ゆうこさんのお母様は今はこの世に生きていらっしゃるのだから、今という時間を精一杯大切に、変な言い方ですが少し先の事を考える感覚を麻痺させて、お母様と過ごす時を持って下さいね。

私は母の病気が分かってから、母と過ごす楽しい時が反面辛い時がありました。「これがいつまで続くのだろう」と、母がいなくなってからの日々ばかりを思って楽しいだけにたまらなく切なくなってしまう、そんな思いに苛まれました。

でも今母がいなくなって、そんな楽しい思い出の一つ一つに救われています。
やっておいて良かった、と思う事が沢山あります。

ゆうこさんも毎日大変な思いをされている事と思います。でもきっと何もかも無駄ににはならない!
体にだけは気を付けてお母様を支えてあげて下さいね。

こちらも長々とすみません。
メアドはブログ上で公開していますのでいつでも気が向いたら下さいね。